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石井菊次郎の対米外交が示唆すること

 小泉首相の訪米が6月に予定されている。その際、米議会での演説を検討してみてはどうかという米識者からの提言があると聞く。民主主義国として中国との違いもアピールできるし、吉田首相以来45年ぶりということで注目も集めるだろう、とのことだ。

 米国での議会演説は格式があり、誰でも容認されるというわけではない以上、こういう機会は積極的に生かすべきであろう。米国人の琴線に触れるスピーチが出来れば良いのだが。

 日本の政治家として、この種のスピーチで評判になった者は少ない。古い話になるが、過去第一次大戦時に石井菊次郎が行ったものがある。石井菊次郎は、第一次大戦への参戦に関してほぼイニシアティブを取った加藤高明と並んで、20世紀前半の日本外交を支えた人物である。陸奥や小村の時代に気迫を示した日本外交は、この時代に一層の成熟を示し一定の到達を示した感がある。しかし今日この両者はそれほど著名という印象は無い。歴史に日露戦争後の記述が少ない戦後教育の偏向によるものかもしれない。であれば、今後再評価されるのは間違いないと思うが。

 石井菊次郎の訪米は1917年である。内容はこのページに概略が示されている。石井はホワイトハウス訪問と議会演説の間にワシントンの墓に詣で、花を捧げている。そしてスピーチを行った。以下の部分は米国的な言い回しだ。ケネディの「ベルリン市民」に遠く通じるような精神のあり方ではないか?

Washington was an American, but America, great as she is, powerful as she is, certain as she is of her splendid destiny, can lay no exclusive claim to this immortal name. Washington is now a citizen of the world; today he belongs to all mankind. And so men come here from the ends of the earth to honor his memory and to reiterate their faith in the principles to which his great life was devoted.

 そして上院の演説だ。内容は上記の同じページの"Viscount Ishii arose and said:"以下の部分が該当する。戦時と言うことで建前となっている部分も確かに多いのであるが、非常に見事なものである。これに関しては別宮氏がサイトで解説ページを設けており、和訳もあるので参照すると良いだろう。当時のドイツが恒常的に無思慮な拡張主義者とみなされていた雰囲気が良く出ている。そして、この演説の後半部分を引用してみたい。和訳部分は直接氏のサイトを参照されたい。

Mr. President and gentlemen, whatever the critic half informed or the. hired slanderer may say against us, in forming your judgment of Japan we ask you only to use those splendid abilities that guide this great nation. The criminal plotter against our good neighborhood takes advantage of the fact that at this time of the world's crisis many things must of necessity remain untold and unrecorded in the daily newspapers; but we are satisfied that we are doing our best. In this tremendous work, as we move together, shoulder to shoulder, to a certain victory, America and Japan must have many things in which the one can help the other. We have much in common and much to do in concert. That is the reason I have been sent and that is the reason you have received me here today.

 繰り返すが、これは1917年のスピーチで、今からおよそ90年前のものだ。にもかかわらず、現在この内容がほぼそのまま通用することに驚く。悪意を持った誹謗に対応しなければならないし、自らの立場を説明しなければいけない。この前の部分のa scrap of paperの言い回しも共通の価値に該当する。法の支配の伝統、自由の価値といった共通の価値観を重視し、肩を揃えて一緒に働く。およそ国と国との友好に必要な条件はいつの時代も変わらないのかもしれない。

 そしてBecauseを語らないと国際社会では不安の目で見られるだけだ。米国は、戦争自体の参加は、特に大戦争になればなるほどいつも立ち上がりが遅いことは示唆的だ。また日本の拉致問題は今回の横田夫妻の訪米でようやく一定の理解を得た。EUの対中武器輸出問題は、ここ数ヶ月でやっと「日米の了解が必要である」とのコメントを引き出すことが出来た。日本人の時計は欧米より早いのが常だと思っておかなくてはいけない。またそういう説明も、ともに働くことでしか相手に届かないのかもしれない。

 日本は、NATOの域外活動との連携を強めると聞く。今度の訪米は当然それも念頭にあるだろう。小泉首相は、米国で何を語るのだろうか。脅威認識は共通であるとしても、何に関して、どのように一緒に働くと言うのだろうか。まさか3兆円出すと言うだけではないと思うが。

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