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石井菊次郎の対米外交が示唆すること

 小泉首相の訪米が6月に予定されている。その際、米議会での演説を検討してみてはどうかという米識者からの提言があると聞く。民主主義国として中国との違いもアピールできるし、吉田首相以来45年ぶりということで注目も集めるだろう、とのことだ。

 米国での議会演説は格式があり、誰でも容認されるというわけではない以上、こういう機会は積極的に生かすべきであろう。米国人の琴線に触れるスピーチが出来れば良いのだが。

 日本の政治家として、この種のスピーチで評判になった者は少ない。古い話になるが、過去第一次大戦時に石井菊次郎が行ったものがある。石井菊次郎は、第一次大戦への参戦に関してほぼイニシアティブを取った加藤高明と並んで、20世紀前半の日本外交を支えた人物である。陸奥や小村の時代に気迫を示した日本外交は、この時代に一層の成熟を示し一定の到達を示した感がある。しかし今日この両者はそれほど著名という印象は無い。歴史に日露戦争後の記述が少ない戦後教育の偏向によるものかもしれない。であれば、今後再評価されるのは間違いないと思うが。

 石井菊次郎の訪米は1917年である。内容はこのページに概略が示されている。石井はホワイトハウス訪問と議会演説の間にワシントンの墓に詣で、花を捧げている。そしてスピーチを行った。以下の部分は米国的な言い回しだ。ケネディの「ベルリン市民」に遠く通じるような精神のあり方ではないか?

Washington was an American, but America, great as she is, powerful as she is, certain as she is of her splendid destiny, can lay no exclusive claim to this immortal name. Washington is now a citizen of the world; today he belongs to all mankind. And so men come here from the ends of the earth to honor his memory and to reiterate their faith in the principles to which his great life was devoted.

 そして上院の演説だ。内容は上記の同じページの"Viscount Ishii arose and said:"以下の部分が該当する。戦時と言うことで建前となっている部分も確かに多いのであるが、非常に見事なものである。これに関しては別宮氏がサイトで解説ページを設けており、和訳もあるので参照すると良いだろう。当時のドイツが恒常的に無思慮な拡張主義者とみなされていた雰囲気が良く出ている。そして、この演説の後半部分を引用してみたい。和訳部分は直接氏のサイトを参照されたい。

Mr. President and gentlemen, whatever the critic half informed or the. hired slanderer may say against us, in forming your judgment of Japan we ask you only to use those splendid abilities that guide this great nation. The criminal plotter against our good neighborhood takes advantage of the fact that at this time of the world's crisis many things must of necessity remain untold and unrecorded in the daily newspapers; but we are satisfied that we are doing our best. In this tremendous work, as we move together, shoulder to shoulder, to a certain victory, America and Japan must have many things in which the one can help the other. We have much in common and much to do in concert. That is the reason I have been sent and that is the reason you have received me here today.

 繰り返すが、これは1917年のスピーチで、今からおよそ90年前のものだ。にもかかわらず、現在この内容がほぼそのまま通用することに驚く。悪意を持った誹謗に対応しなければならないし、自らの立場を説明しなければいけない。この前の部分のa scrap of paperの言い回しも共通の価値に該当する。法の支配の伝統、自由の価値といった共通の価値観を重視し、肩を揃えて一緒に働く。およそ国と国との友好に必要な条件はいつの時代も変わらないのかもしれない。

 そしてBecauseを語らないと国際社会では不安の目で見られるだけだ。米国は、戦争自体の参加は、特に大戦争になればなるほどいつも立ち上がりが遅いことは示唆的だ。また日本の拉致問題は今回の横田夫妻の訪米でようやく一定の理解を得た。EUの対中武器輸出問題は、ここ数ヶ月でやっと「日米の了解が必要である」とのコメントを引き出すことが出来た。日本人の時計は欧米より早いのが常だと思っておかなくてはいけない。またそういう説明も、ともに働くことでしか相手に届かないのかもしれない。

 日本は、NATOの域外活動との連携を強めると聞く。今度の訪米は当然それも念頭にあるだろう。小泉首相は、米国で何を語るのだろうか。脅威認識は共通であるとしても、何に関して、どのように一緒に働くと言うのだろうか。まさか3兆円出すと言うだけではないと思うが。

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現代のヴァイオリン演奏家たち

 今日はいつもの政治ネタはお休み。たまには趣味の話でもということで、いくつか自分の聴いたCDを推薦してみたい。

 クラシック音楽の愛好家であれば良くある話であるが、必ずしも最新録音のCDばかり買い集めるというわけでは無いだろう。むしろ何十年も以前に録音された歴史的名演のCDを買い揃えていく場合が多いのではないか。精選されたものがベスト・クラシック100などの形で各レーベルから安価に発売されていたりするし、現実に(特に指揮者などは)優れた人々が多く故人となってしまった事情もある。作曲の分野では19世紀くらいまでに多くの業績が果たされてしまったように、演奏の分野でも1960年代までにある曲の最高の演奏は録音し尽くされてしまったのではないかという意見もしばしばある。私も例外ではなく、棚に並んでいるのは大体古いCDばかりである。ちなみに一番古いソースは19世紀のブラームスの肉声だろうか。辛うじてそうと分かるかどうかであるが。それは極端にしても50~70年代のものは確かに多い。

 しかしながら、近年は若いヴァイオリニストで優れた人材がかなり出てきている。今回、個人的に非常なファンとなった3人のヴァイオリニスト、マキシム・ヴェンゲーロフギル・シャハムヒラリー・ハーンの3名を紹介したい。いずれも有名で好楽家にとっては蛇足も良いところであるが、上記のように往年の巨匠の演奏ばかり聴いている人にはぜひとも耳にして欲しいと思う。ちなみに音楽ネタという事で以前にコメントしたぐっちーさんのこの付近のエントリにTBを。ピアノの弾ける経済通のブロガーは格好いいなぁ。

愛の喜び/愛の悲しみ

 マキシム・ヴェンゲーロフ(公式サイト)は1974年生まれのロシアのヴァイオリニストである。完璧無比な技巧からハイフェッツと比較されるような言もあるが、若くして巨匠的なスケールの大きさを持つことから、むしろ氏自ら尊敬するというオイストラフのほうがタイプとしては近いかもしれない。個人的には聴衆に語りかけるような親密な響きから、クライスラーのような趣を感じることも多いのであるが。いずれにせよ、今回挙げた3名の中では最も昔ながらの名演奏家のイメージに近い人物である。録音は本来大曲のほうが向いているタイプだと言えるだろう。しかしながら、私はこのヴァイオリニストの特徴が良く分かる小品集のCDを推薦したい。タイトルとしては有名なクライスラーがチョイスされており、それも素晴らしいのだが、ヴィエニャフスキの小品は最高だ。ヴァイオリン音楽を聴く楽しみの典型と言えようか。様々に表情が変化し、繊細かつ骨太な実質のある音楽が展開する。音楽家には様々なタイプがいるが、「信頼」を提供するタイプの人物ではないかと考える。確かに良い音楽を聴いた、聴いて良かったと思うのではないか。

ヴィエニャフスキ/ヴァイオリン協奏曲 第1番 嬰ヘ短調 作品14

 ギル・シャハムは1971年生まれのイスラエルのヴァイオリニストである。出生はアメリカだが2歳の時に移住したという話である。ユダヤ系ヴァイオリニストとされ、3人の中では最も録音が多い人物である。
 若い頃から超絶技巧で名を挙げ、例えばこのヴィヴァルディの「四季」のCDは目覚ましい限りの演奏で、これを聴くとイ・ムジチの演奏など寝てしまいかねない。「冬」の第一楽章など呆然とした。バロックは多少やり過ぎの方がいいかもしれない。
 しかしながら、本来の演奏スタイルはむしろ学究的ではないだろうか。ここではヴィエニャフスキのヴァイオリン協奏曲のCDを推薦しておきたい。名曲で最近知られてきてはいるがそれでもまだまだ世の評価は低いと思われるほどのこの曲、技巧は知性の支えとなり、細部まで光を照らす最高の武器になっている。しかしながら分析的過ぎず、見事に音楽が流れている第一級の演奏である。シャハム氏は大手レーベルだと有名曲ばかり演奏させられると自主レーベル「カナリア・クラシックス」を立ち上げたそうだが、音楽性はそれを頷かせるものがある。確かに自由にやったほうが良さそうなタイプだ。フォーレ盤などが出ているそうで、これから買い求める予定だ。

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
 最後に最も若いヒラリー・ハーン(公式サイト)を紹介する。彼女は1979年生まれのアメリカのヴァイオリニストである。若い頃から令名高く、短時日で全世界的な名声を築き上げた。一見して最近のレコードレーベルがしばしばやる若いうちだけルックスで売り出すタイプかなと思ったが、全力でそれを恥じることになった。
 驚嘆すべき能力としかいいようがない。amazonの紹介文に「レーザー光線のような強度と直進性」という形容で紹介されていたが、青白く燃え立つような怜悧で知性的な情熱を持つ演奏を形容するのに誠にふさわしい。メンデルスゾーンの協奏曲を聴いて、散々聴き慣れたこの曲がなお魅力的に聴こえるのに驚いたが、圧巻はこのブラームスのヴァイオリン協奏曲のCDである。私はこの曲の演奏として、オイストラフ/セル盤が一番気に入っていた。何と言うか、ある種の「格」とでもいうものがこの曲には必要であり、それを満たす数少ない演奏だと思っていたからだ。もちろん今でも素晴らしい演奏だと思っている。しかし、鋭く本質に切り込むこの演奏が、本当に久々にある種の呪縛を解いてくれた。
 トスカニーニの演奏を評するとき、それを「正しい演奏」と形容する時がある。好き嫌いはあれど、その演奏に接したときにそれを間違っているとは指摘できない、いやむしろそれはある種の規範であると否応無しに認めなければならない種類の演奏だという意味でそのように言われるのであろう。そしてこのハーンの演奏も、そういう「正しさ」を内包しているとどうしても認めなければならない種類の演奏と考えるしかないのだ。しかも現代的なシャープさと知性を持って、それがそこにあるのだ。現在有名な女流ヴァイオリニストとなるとムターやチョンキョンファといったところになると思われるが、正直どうでもいい。彼女が今現在の段階で、「格」において疑いも無く凌駕していると確信している。ちょうど今週末、NHKのBS-Hi(参照)でベルリン・フィルとの競演にて彼女の演奏が見られるので大変に楽しみだ。曲も十八番のショスタコーヴィチということで期待できる。まぁ、そういういいタイミングだからこのエントリを書いたというのはこの段階で大体分かってくれたと思うが。

 往年の名演に酔うのは素晴らしい。しかしながら、「昔の演奏家は良かった、今の演奏家は云々」などという良くある言い草は、それが真実であっても何一つ価値の無い発言であろう。そのような寝言を多くの凡人が述べている間に、颯爽と彼らは前進し続けている。しばしば音楽の鉱脈を掘り尽くしたように言われる21世紀にも、まだこのような大きな成果が見事に示されている。可能性はまだまだ限りが無い、それを確信させてくれた現代の天才たちに、今心から感謝している。

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佐々木氏の「グーグル」読後に考えた未来の風景

 以前、梅田氏の「ウェブ進化論」という書籍を読み、簡単な感想のエントリを書いたことがある。今回の佐々木氏の「グーグル Google 既存のビジネスを破壊する」も近い内容を扱ったものだ。R30氏がブログで書評を書いているのでそちらも参照されたい。

 書籍そのものの内容としては極めて妥当なものであり、むしろこれを読んだときの各人の感想が興味深いものとなる、と様々な人が述べている。私も似たような見解だ。何かを語る際の基盤として優れている感がある。

 この書籍は、梅田氏の「ウェブ進化論」と比較すると確かに一般向きかもしれない。ビジネスの具体例がより実際的に、ローカルな個別企業の名も挙げる形で示されており、古典的なビジネス書に近い感もある。梅田氏の書籍と比較して対照的と言う人もいる。私などはむしろ「結局のところ同じことを語っている」側面のほうがより重要だと考えるのだが、そうでない人も多いのだろう。

 むしろこれではっきりしたのは、梅田氏の著作では具体例に関してはむしろ禁欲的な側面を持っており、必要最小限の事例しか意図的に挙げていないのではないかと言うことだ。これは抽象的な内容を語るときは特に重要だ。具体例を挙げないのが思想を語る上で必須であることもある。ビジネスでも特定範囲でしか仕事が出来ない人に限って具体例や実績に拘るのはよくある話である。もちろん、この佐々木氏の書籍を批判しているわけではない。役割はそれぞれだからである。ただ「同じ事を語っても肌合いは違う」のであり、それが本質的に違うように思う人は予想以上にいるかもしれないと思っただけだ。

 この佐々木氏のGoogle論は、データベースが中核にあるという事をはっきり述べている点で啓蒙的だ。それがあらゆるジャンルに適用されていくという未来図もほぼ正確であろう。では我々はどのように対処すべきか?またいつものことだが、政治系ブログということで社会的意味合いで考えてみよう。

 ある特定の企業が時代の経済環境にうまく適合し、特定産業で独占かそれに近いシェアを占めて大きな利潤を得るということはしばしばある。それに通常対応するのは独禁法であるが、より実際的な解として、ある種の社会的役割を背負わせるという場合がある。日本国内で考えると、NTT法であったり、電力会社や鉄道会社に関する対応であったりする。いずれも競争は市場で可能でありながらも、現実問題として参入障壁が極端に高いのが特徴である。Googleのような会社も、大局的に見ればそのような企業の一つとして今後処理されるのではないだろうか。中国政府とのやり取りがいい例だが、結局のところ主権国家の法制度は絶対の強制力であり続けるのだ。

 では、仮にそういう未来図があるとして、設定したほうがいいかもしれない義務とはどのようなものであろうか?ユーザーは皆自由意思で提供するものとする。それは結局のところ二つに集約されるのではないだろうか。データ利用効率を最良にすることが一つ、データの削除の自由も含めた管理の一元化により、ユーザーに統一的な利便性を提供することがもう一つだろう。

 前者に関しては、この地主制度2.0という面白い言い草から連想した。小作人とは言い得て妙で、ある側面の真実も突いている。しかしながら我々は別の側面も考えなければならない。戦後の日本のごとく農地をみじん切りにするような農政は失敗することだ。結局全体効率を上げなければ話にならない。そのため、二次利用者の使用コストを押さえ込む施策は今から考慮しておいていいかもしれない。あからさまに言えば消費者金融の貸出金利の上限みたいなものだ(笑)日本の現行法でも、従業員○○人以上の企業は云々と言う条文は山のようにある。これは雇用という社会的に重要な役割を提供している責任から来るものであるが、この種のデータベースの二次提供は仮想的な雇用提供と表現できなくも無い。そのため従業員数以外にデータベースの規模などで社会的責任を段階的に設定すると言う未来図は可能性があるかもしれない。

 後者に関しては、よりユーザーサイドからの視点だ。現在、インターネット上で様々なサービスを受け、ショップを利用している人は個人情報をばらまいていると言える。これはリスク拡大という側面もある。個人情報を含めたデータベースの構築企業が両手で数えられる程度に集約されれば二次利用する会社に完全開示しない形でビジネス上の処理は可能になるかもしれない。また、個人が自分に関して作られているデータベースの内容は自分自身で参照可能であるというのは、今後新たな種類の人権であるとされる政治思想が広まるかもしれない。そうなると、まとめ上げられたデータベースを、場合によっては有償処理という可能性まで含めて、項目ごとの削除等も含めた権利を設定する必要性はあるかもしれない。

 上記のような可能性は、この書籍のP.232-234などと読み合わせると示唆的だ。ここでは監視社会のモデルとして、ビッグブラザー、パノプティコン、アセンブラージュを上げており、ビッグブラザーからアセンブラージュへ、主体としては官から民への変化が趨勢だとされている。その必然的な帰趨として、少なくとも経済的に発展した民主主義国においては、民主的に選ばれた行政府はむしろ民間の大企業の役割を監視する存在として社会的に認知される事になるかもしれない。社会がそのような段階になっていれば、いわゆる住基ネットのようなものは民間委託されているであろうから当然ともいえる。(セキュリティなどに関して政府機関は常に一流企業より劣っていることもその流れに拍車をかける)ただそのような社会の成立にはやや条件があり、米英独のような地方分権が強力な社会で監視機構が地方政府と中央政府、NGOなどで相互に働いてなければならない。日仏あたりは政府が信用を得るのに上記のような国よりは時間がかかるかもしれないし、結果的に効率ある社会という観点では少し遅れるのかもしれない。日本国内で言えば、裁判員制度などとのセットは考えられるだろう。無作為抽出された市民がそのタイミングで自分のプライバシー情報の管理状況をチェックするというようなアプローチだ。それに企業の信用度を商品化して、先物市場のような形で取引するという手も使えるかもしれない。このような未来図は今ではSF的でしかないが部分的には現出するかもしれない。

 ところで、この本で疑問に思ったことが一つある。それは、なぜ破壊するのかをわざわざ問うている事である。それは、問う必要があるのだろうか?彼らは破壊できるから破壊するというだけだろう。というより、自分たちが歩む事自体がたまたま破壊になっていると考えているだけではないか。本当に社会に必要なものであるなら破壊しても自然と再生するだろう、そうで無ければ意に介する必要なし、とその程度ではないか。先駆者とはそうしたものなのである。

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ハンス島の例に見る領土問題

 昨今の日韓は竹島問題で騒がしいが、この手の領土問題でモメる話は世界各地で良くある事である。比較的成熟した民主主義国でも完全に無縁とは行かず問題を抱える事がある。今回は例としてカナダとデンマーク間にあるハンス島問題を取り上げてみたい。

 グリーンランドがデンマークの自治領として主権下にあるのは周知の事実である。このグリーンランドとカナダの間の狭い海峡にいくつかの小さな島があり、そのうちちょうど海峡の真ん中にあるハンス島が論争の対象となっている。この地図を見ると分かると思うがなかなか微妙な位置である。議論の発端は1973年に大陸棚に関して両国の帰属問題を決定した際に遡るが、このハンス島部分に関しては当時合意はなく政治的にも大きな問題とみなされていなかった。論争が大きくなってきたのは近年である。カナダドメインではあるが客観性はそれなりにあると思われるこのまとめサイトは参考になるだろう。その中で記述されるこれは何かのテンプレにしたい気もする。

The question one is inclined to ask is not, "Who owns it?" but rather, "Who would want it?"

 背景としては、地球温暖化で利用可能性が出てきた北西航路の件が絡む。このグリーンランド西のネレズ海峡は北極まで通じており、今後重要となる可能性もある。しかもこのハンス島に関連する決定は米国やロシアも含めた北極周りの主権論争に先例となる形で影響を与える可能性もあり、様々な思惑が錯綜している。一言で語れるような問題ではないのでここでは割愛するが、この北西航路への思惑は今後機会ある度に気にかけておいて良い重要な問題であろう。

 とはいえ、ハンス島の領土問題自体は、あくまでカナダとデンマークの当事者が決定する事である。そして背景があるにせよ、論争自体はやはり純粋に主権の問題として展開している。デンマークの立場はシンプルで、これが他のフランクリン島などと同様にグリーンランドの付属物であるというものだ。カナダ側の主張はもう少しややこしく、命名の元となったイギリス人の探検家が発見したものを引き継いでいること、及びイヌイットの伝統的利用が主権の根拠となると主張している。しかしいずれの主張も実は弱点を抱えており、北グリーンランドの主権がデンマークに完全に帰属した時期はやや遅れていること、イギリス人の探検家自身が発見したとは言い難い事実がある。仔細は省くがいずれもアメリカの関与がある話であり、発言に意味はあると思われる。しかし(例によってだが)国際水路であると発言するにとどまっている。

 言うまでもなくカナダもデンマークも外交的に奇矯な行動を取る国ではなく、イメージの悪い国でもない。しかしこの問題では双方の軍隊が出動、交代でフリゲート艦が現れ戦闘機が上空を飛びヘリが着陸しお互いに上陸して旗を立てたり時に燃やしたりとなかなか元気である。大臣まで上陸してくるのでそのことに関しては韓国といい勝負かもしれない。英語版Wikiやそこからのリンクなどなかなかに楽しい。ここでも北方へのプレゼンスとかカナダの国内問題が絡んだりとどこかで聞いたような話だ。「主権」が絡む問題となると大変だ。もう少し政治の未熟な国で死傷者が発生するのは当たり前と思えるほどだ。ともあれ日本が思うほど韓国の行動は異常視されていないと考えておくべきだろう。少なくとも現時点ではであるが。

 さて、ハンス島に見るような領土問題から日本は何を教訓とするべきであろうか?少しばかり触れてみたい。例えば、デンマーク政府がオタワで発表したこのような文書からは外交的儀礼ということに関して示唆することが多いと思われる。今回の交渉に関して言えば、日本は上記のデンマークのように「両国とも意見の不一致があることを認めた」で構わないであろう。もちろん、平和的解決の原則は謳うべきであり、韓国が国際的紛争ではないと主張しても「意見の不一致は互いに認めている事である」で終わりである。また、共同での建設的なプロジェクトも提案しても良いであろう。逆に韓国の立場とすれば、もっと早期から徹底して、「隠岐ではなく鬱陵島の付属物であることは間違いなく、歴史的には関係国の勘違いがあったようだ」と淡々としておけばよかったと思うのだが。

 ハンス島問題自体は国際司法裁判所で解決されるかもしれない。そのような場で日本が活動するのは向いているかもしれない。法の支配の伝統に関しては、日本は欧州に負けないくらい歴史があり、また国民の性向として好む所でもあるからだ。世界的な領土紛争全てに関して関係国の提訴を受け付ける用意がある、くらいに機関を強化してみてはどうだろう。「紛争の平和的解決のための基盤」という位置付けで、決定権は無いが世界各地の法的・歴史的事実の資料整備などの業務を行う常設の支援機関を設け、関連する資料をとりまとめて国際的に広く公開し、常に参照可能な状況としておくのはどうだろうか。アカデミズムの客観的検証を中核とするのが重要である。本格提訴になった際にその機関の資料が高い価値を持つようにしておけば良いのである。今の日本は自国だけが得をしたいと考える国ではない。何しろ普通に世界が今のルールで回ればそれだけで資産が集まるのだから。公正な決定であれば今の日本人は受け入れる。そのためには日頃から(少なくとも法理的には)公正に振舞わなければならないし、その信用を積み重ねることが遠回りなようでいてあらゆる問題の確実な解決策なのかもしれない。逆に一度不信を買うと外交上どうにもならないという事実は、世界各地で多数の実例を持って証明済みである。

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国連安保理の実態と改革の困難さ

 昨年のG4案が廃案になって以来、安保理改革の話は停滞気味である。確かに案件は山のようにあり、特に今年になってからは人権委員会などの問題を放置して常任理事国入りの交渉など出来る状況ではない。イラン問題で揉め、スーダンやチャドがあの具合では日本も主張し辛いタイミングではある。

 今月、興味深い事に国連次席大使の北岡伸一氏が複数の雑誌に国連関係で寄稿している。「中央公論」に安保理改革の停滞に関する話を、「論座」に安保理の実態や活動の意義を示す内容を寄せている。特に後者のほうが興味深くはあるが、いずれもこのブログなどよりよほど目を通す価値があるので推薦しておきたい。

 前者の中央公論に掲載された内容は、今まで多くの識者が述べてきたことをまとめたものだ。もっとも内容の整理のされ方は大半のものより洗練されている。特に米国、中国、アフリカに課題があったとしている。ただ、ここで北岡氏はG4案が通る可能性はかなりあったとしているが、それに関しては少し甘い評価ではないかと思う。アジア諸国も共同提案国になるにはリスクがあるが投票の際には賛成するとした国は多いという話であるが、やはり肝心の常任理事国が賛成しなければ絶対に通らないのであるからそんな事は言えないのではないか。また、ネガティブな国々にも少しは言及してもいいだろう。スペインへの話は余り進まなかったようだし、カナダの隠然とした消極性(しかし賢く振舞っていて悪者にはならない注意深さがある)も面倒な話だった。
 しかしながら、この外交が無益なものではないとした後半の論述には強く賛同したい。日本もなかなかやるなという評価がニューヨーク周辺であるとしている。それは自画自賛的ではあるが確かに存在感を増すことではあるだろう。現状に問題がある事は多くの国で共通認識があり、日本等を入れることで今後この種の見直し議論が発生することをかなりの期間抑止したいという英仏あたりの考えは国内でももう少し報道されて良かったろう。実際連携も多かったのだから。その他細部の記述には興味深いものもある。

「・・・フランスの行動には、何か外交を楽しんでいるふうが見られた。実際、G4を支持してくれと、多くのフランス語圏の国々にとくに働きかけてくれたが、そういう働きかけによって、実はフランスはその外交能力を再生産し、拡大強化しているのである。」

「確かに安保理改革は難しい。しかしそれは正当な要求である。たいていの国はそれが正当な要求であることを理解している。失敗してもさしたるダメージはない。この点、戦争をするのとはまったく違う。」

「昨年の挫折には、別にダメージは無い。それどころか、実は、得るものが大きかった。なぜなら、正しい要求を持って、これを支持してほしいと言いに行くことによって、世界中の国々の政権の中枢と、深く切り結ぶことになったからである。」

 北岡氏のこれらの言は誠に示唆的だ。思うに日本人は外交を「本来やらずに済ませたいが仕方なくやる苦行」のように考え過ぎているのではないだろうか。孤立主義の伝統が無意識に出ているかもしれない。フランスのようにはなれないだろうが、もう少し政治の世界の日常のように肩の力を抜いてもいいのかもしれない。ここでも必要以上に真面目すぎる気がする。そういう意識を土台に継続的に関与することが前向きな結果をもたらすように思う。

 後者の論座への寄稿はより実際的で興味深い。グローバル・プレーヤーの条件として安保理の実際の活動を説明している。各案件事にリード国を設定し、日本もリード国のときはかなりの役割を果たしている。非常任理事国でも安保理にいるといないとでは大違いのようだ。そして常時参加している常任理事国はやはり強力であるということ。また北岡氏の各国に関する評価見解は面白い。

・論点を整理し、アイデアを出し、議論をとりまとめて行くのはイギリスが断然優れている。
・フランスもシャープな論点を提示し、これに次ぐ。
・アメリカはしばしば洗練さを欠くがさすがにパワフルで、ここまでが別格。
・ロシアはとにかく過去の経験が厚く、議事進行や先例に詳しい。案件によっては日本とも結構親しい。ただ主権尊重でブレーキをかけることも多い。
・中国はロシアに近いがもう少し静かで、自国の利害が絡まない案件ではあまり発言しない。
・非常任理事国では、近年アルジェリアが活躍している。ギリシャは大使が極めて有能であり活躍している。
・日本は常にやや控えめではあるが、言動は安定しており、間違いが無いことで知られる。

 中国の外交行動に関しては昔から知られているものではあり、それ故国際社会では案外紊乱者と見られていない。日本人は別の感想があるのであろうが。また日本には該当案件に詳しくない途上国の追随が多いと言う事も昔から知られている。
 全体として、実質の貢献度では日本は米英仏に次ぐとしているが、これは恐らく妥当なところなのであろう。弱点はフランス語の出来る職員が少ないこととしているが、これもその通りだろう。

 いずれにせよ、外交は何もしないことではなく何かをする事で評価される。日本は現時点でそう悪い評判のある国ではない。しかし、多くの途上国からは苦境を理解する国として評価がある一方、民主主義国一般からの尊重が少し軽めである事、しかしここで示されているように近年の各種案件への対応はかなり評価されていることは示唆的ではないだろうか。国益の角逐という厳しい場である事は周知の事実、しかしそこから結果としてどのような未来を作っていったかという結果が外交の評価となるのであろう。米英仏は非難されることも多いが賞賛される事も多く、しかしそれはいつも静かになされている。そして総合すれば、日本より高い評価となっている事を、もっと多くの日本人は考えておくべきだろう。

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スーダン情勢に関する観察(3)及びチャドの混乱

 また派手な事態になっている。スーダン政府がチャドの反政府勢力を煽って現政府を転覆させようとし、これに当面失敗、チャドのデビ大統領は怒り狂って国際社会がダルフールをどうにかしないことにはチャド領内の難民は全て叩き返すなどと言い出した。フランスはデビ大統領を支持し、自国民保護のためにチャドに派兵して戦闘機も飛び回っている状況だ。戦闘自体はまだかもしれないが。そして安保理もさすがに動き出し、6月にダルフールへの代表団派遣が決まったらしい。

 関連エントリは以前にも挙げているので必要に応じて参照して欲しい。この件、国内報道は皆無に近いが国際的な関心は高いだろう。手軽に見ることが出来るものとしては、Washinton Postがかなり関連記事を載せており参考になる。まず直近の状況としてはこんな具合だ。(参照1)もう少し内容を補足してあるものとしてはこれもいい。(参照2)この記事ではデビ大統領の不正が挙げられているが、率直に言うとこの付近の地域の現状としてはマシとは言えまいか。現政権はまだ理性的な判断が出来るように思われる。ちなみにこの記事にはこんな部分もある。

The rebel leader, Mahamat Nour, told reporters that he believed he has enough support to take over the government by the weekend.

 随分簡単な話だ。本気でそう思っていそうだし、また事実しばしばそうである地域の現実と言うのはなかなか理解できないものである。

 安保理の動きはと言うと、数日前だがこのような記事がある。(参照3)この後プレスリリースも出たようだが、具体的な進展は無いようだ。建前は守る必要があるが、相変わらずの停滞と見て良いだろう。当面の対症療法としても、チャドへのフォローなどは動き出すべきではないだろうか。それなら日本の出来ることもありそうだ。

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日米新租税条約に見るビジネスと政治

 日米間FTAは検討を始めても良い課題だと思う。どっちにしろ時間がかかる話であるし、問題点を詰めるだけでも大変な手間だからだ。ただ農業部門が伝統的に問題になるので大変、などと思って調べていたら、日米租税条約が近年改定されているのに気がついた。何てことだ、こんな重要なことを今まで気付かなかったとは迂闊。

 内容は財務省発表の文章、及びそこからのリンクで確認できる。元々租税条約は、二重課税の防止によるビジネスの円滑化などを目的としているもので、日本や米国など、世界の多くの経済先進国はこの種の条約をそれぞれ各国と結んでいる。今回のミソは、配当所得の軽減もさりながら、利子所得の源泉国免税が大きい。そして上記リンクページでさらっと1行だけで書かれている「使用料」の免除が大きなトピックかなと思っている。要は特許や著作権に関する内容だ。本文十二条に記載がある。

 この条約のインパクトはかなり大きい。日本国内で多くの米国企業が円滑にビジネスを進めることが出来る。英国とも同様の条約を結んでいるらしいし、恐らく他の経済先進国とも進めるのであろう。日本の近年のベンチャー企業育成などの試み、各種IT起業などのビジネス経緯などを考えると分かると思うが、日本企業自体が多くの起業で出現し、雇用や収益、納税を発生させるのが理想ではあっても、どうもこの国は経済界のリーダー層が新しい経営者に冷たく、なかなかうまくいかない傾向が強い。しかしながら、外国で実績ある企業となれば、それが一流のブランドであったりすると割と受け入れられやすいものだ。免税措置を取ったとしても、そこでビジネスを展開する限りにおいては、一定の雇用や需要は発生し、消費税などは当然納めることになる。近年は中国進出に懐疑的になっている欧州企業も多く(米国は概して最初から懐疑的だ。さっさと足抜け出来る企業ばかり進出している気がする)「法の整備」に加えて税率の優遇で知的活動中心のビジネスはこっちでやってもらおうとしているのではないか。

 少し前の、まぁ今も一部の日本人は、外国企業の進出を乗っ取りだ何だと嫌がる人が多い。しかし、現代の先進国の経済で筆頭級の課題はやはり雇用であり、需要が必要とされているということであろう。その意味でこの種の試みは全く持って正道である。

 また書いている通りであるが、条約の濫用を防ぐために規定も随分細かく記されている。よほど周辺国に首を突っ込まれるのが嫌なのだろうなと苦笑した。第五条など、「ペーパーカンパニーは駄目よ」とすんなり書いておけばいいだろと思ってしまう。それにわざわざ石油や天然ガスと記載しているのも面白い。有利になってるので米国の石油メジャーさん東シナ海で掘ってね、というわけではないとは思うが。(あそこは採算自体は取れないだろうし)何か今後有望な話でもあるのかもしれない。深読みしすぎかもしれないが。

 いずれにせよ、日本の伝統的な「目立たずうまくやっている」外交の典型だと思う。この種の国際的な話し合いで不利になると大声で騒ぎ、米国あたりに「日本は被害者面するのが昔から実にうまい」と揶揄されたりするのだが、そんな事言ってたらEUの一国などどうなるのだろう。今回は米国内でのビジネスが楽になったので、米国で稼いだドルも再投資しやすくなるだろう。何と言うか、うまく食いつなげそうだ。

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フランスCPE問題への感想

 フランスではCPE問題を巡って連日派手なデモが繰り返されている。内容の詳細は様々なメディアで報道されているのでここでは省略する。要は、雇用の硬直性を打破し、若年失業率を下げようとしての施策が、為政者の思ったほどには支持されていないということだ。

 この件は世界中で報道されており、米国では相変わらず揶揄するような意見も多い。ただ毎日のこの記事が珍しく冷静に背景を解説している。(参照)フランスは少し特殊な国で、とかくこの手のデモは当たり前のように頻発する伝統がある(といっても今回は大規模だが)日本人の私からすると、社会の多数派が支持するようなデモも一度くらい参加してみたいと思わなくも無い。このような事態でフランス国内の不安定を言い出す記事は適当に読み流せばよいだろう。彼らは相変わらず平然とフランス人でいるのである。むしろ興味深いのは、この手の問題が世界的に報道される度合いが増えたと言うことだ。1960年代にもフランスは大騒ぎだったことが多いが、このように逐一報道されただろうか。これはある一国の雇用問題がその国内だけにとどまらず、様々な要素で他国にも影響を及ぼす度合いが増えてきたからだと解釈してよいだろう。EUは勿論のこと、他の工業国も例外ではない。むしろその事に興味深さを覚えた。

 とはいえ、雇用問題それ自体は深刻だ。また労働者の権利自体、一度雇用されると手厚く守られ過ぎているという傾向がある。ちなみにこちらのブログはなかなか参考になるのでぜひ参照して欲しい。
 今回の法案自体は本来のコンセプトとしてはそれほど不当なものではない。ただ、ある国の法律は、良かれ悪しかれその国の文化の影響を受ける。私見では、フランスの教育制度が今回のデモの原因の一つではないかと思っている。日本のように、大卒なら大卒と、まとまった形で分類されるものではなく、もう少し細分化されている。このポジションにいるからこの程度の将来、というのが教育を受ける過程の中で見当がついてくる。日本だと同じ会社に就職してしまえば、その後は東大卒だろうが無名の四年制大学だろうが、課程が同じであれば待遇は基本的に変わらない、しかし欧米の大半の企業はそうではない。米国であれば雇用の流動性があり個々人の能力を判定するシステムもそれなりに動いてはいるが、欧州は概して硬直的だ。結果、どの層も自分が属するクラスとしての既得権を守りたくなるのではないだろうか。硬直的である場合、上昇機会は少なく転落はあり得るのが社会の常であるだろうから。

 ただ、若者の意識の未熟さに関してはやや留保しておきたい感情も残る。親の世代より次の世代は恵まれていなければいけないというのは、実際にはそれを達成するのは当然とは行かなくても、社会の理念として存在するのは悪くない事だと思うからだ。またどの世代もそれぞれ若い頃に未熟であったし、そのエネルギーは直接的ではなくても間接的に社会変革に資すること多大であったろう。そして日本で言うところの団塊の世代が次世代に余り義務を果たしていないのは、どうも主要な民主主義国共通の現象のように思われる(となると、第二次大戦の帰還兵の子弟教育と言う、主要な民主主義国共通の問題との関係が深くなってくるように思うが、それはまた大がかりな議論の対象であるだろう。ちなみに米国ではIT革命その他で多少なりともこの世代が偶然スキップされた感が強いがどうだろうか)また、民主主義の常で、一見表面化しないことでも多数派に有利な政策がじわじわと遂行されているものである。人口動態の変化がここでも効いていると思われる。

 いずれにせよ、人間の意識そのものが常に政治の争点である。ド・ヴィルバンは少し浮世離れしているようにも思われる。理念は良くても手順は誤ったかもしれない。これまでの最大の受益者が当面必要な負担を行わないことには改革は進まないのだろう。それは洋の東西を問わない。ましてフランスでは。

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イスラエル選挙雑感

 少し時間が経過したが、やはり一言だけでもイスラエルの選挙に関して触れておきたい。結果は英語版Wikiで早速項目まで出来ており、便利なので参照すると良いだろう。結果そのものは事前に予想されていたということもあり意外性はそれほどない。有権者のメッセージとしてはシャロン路線の追認と見て良いだろう。

 一院制で、しかも選挙制度が比例代表となると議席の分布がこうなるのは無理も無い。ただイスラエル内の政治的な多様さを考えれば、有権者の政治的な需要を満たすという必要もありやむを得ないのかもしれない。日本人のように(そして恐らくは米国人もそうだが)大まかに合意があれば大政党を作ってその中でのグループ論争という形を取るというのは気質に合わないのだろう。

 イスラエル国内のアラブ人だけでも有権者の20%近くはあり、しかも複数の政党が存在している。これは中東が本格的に民主化した際には地域や宗派でかなり小党分立の状況が見られるようになることを示唆しているものでもある。それを緩和するのは地方分権の強化と連邦の権限の限定なのだが、民主化が成熟した国家でないと難しい。現状アラブ地域は小国のほうが政治がうまくいっている傾向があるが地域の現状として今後もそうなのであろう。大国を作ると抑圧的にならざるを得ない。少なくとも現状では。

 イスラエルにしても、宗教と言う側面があるので禁欲的な主張やあるいはかなり少数の人しか支持しないような国家主義的な主張も、政党としてそこに存在するのはガス抜きの側面もあって好ましいだろう。集団国外追放という、民族浄化もどきの主張する政党もあるとはいえ・・・・もちろん、今回の選挙結果は分離壁の維持や一方的撤退といった、ある種の現状固定化による穏健路線が広く支持されたものとは言えるだろう。

 ハマスに関してだが、本当に好戦的な幹部はイスラエルに大半殺害されていると言う事情もあり、実質としては当面内政に専念するという雰囲気でもある。これは中長期的には好ましいことだろう。そこで国内の支持が固めれば、仮に将来(国内的に)妥協的と見られる政治姿勢を取る際にも、政治基盤としては強固となるからだ。補足するとアメリカが現段階で交渉しないというのも方策としては適切だ。ハマスがどの路線に転ぶにせよ、現段階で関与することのメリットは無い。むしろイスラエルや米国と対立的存在であるということを内外に示し、一定期間の膠着状態を生じさせることが今後の展開に繋がるだろう。現状、多くの人を納得させるような綺麗な解決策は無いだろう。ある種の現実を作ってそれがやむを得ないものと追認させるしかないと思われる。今回のイスラエル選挙の結果も、イスラエル国民がそれを望んだ結果のように思われるのだが。

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