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梅田氏の「ウェブ進化論」を読んで色々と考えた

 珍しく休暇を取って旅行に行っていた。暇なホテルでの夜に最近話題の梅田氏の著作「ウェブ進化論」を読んだ。私は元々ネットにどっぷりという人間ではないのでこの種の一般人向けの本としての丁寧な著作は有難い。久々の更新の割にはただ暇潰しエントリになってしまうがつらつらと思ったことを書いてみたい。そういうわけで書評と言うわけでもない。主に読んだ人に対するメッセージだと思ってもらいたい。

 この梅田氏の著作については、インターネットバブル崩壊後の第二世代のネット技術の進化の要点を鋭く押さえているという点をまず評価しなければならない。そして語られて無い点が重要だという言い方で、R30氏が2回のエントリ()においてある本質的な部分を的確に喝破している。しかしながら、私の抱いた最初の見解としては、むしろ古典的アプローチの先鋭化がネットによってなされているというものであった。純技術的に言えば、このIT革命の第二幕は、大規模で効率的なデータベースの進化というものが唯一の源泉と言えなくも無い。知の結集とその取捨選択による進化もそれを基盤としている。その意味でGoogleが代表的な企業であることにも異論は無い。そしてGoogleの影響から逃げる方法を考えるという知的作業そのものが、Google的な分析の対象になる事であると思っておくべきであろう。

 そして、多くの人がこれをビジネス的な面から考えているが、先鋭化の結果として、人間の考え方が変化していくという事がより本質的な部分であろう。例えば経済的な格差意識を例に取ると、この本で引用されている羽生氏の「高速道路とその先の大渋滞」という鋭い指摘には考えさせられる。(この人は以前「打ち歩詰めのルールが無ければ将棋は先手必勝ではないか」と発言して物議を醸していた。それが真実かどうかはともかく、何かと恐ろしく的確に物事の本質を見抜いているように思われる)ここではITの恩恵としての高速道路に乗ることによって全く個人的な努力でかなりの程度力量を高める事が可能であるとされているが、しかし同様の人が大勢いることによって、限られた勝者となるためにはそこから先の道が至難であることも指摘されている。このような現象が、多かれ少なかれ社会の全領域で発生するのであろう。その場合、高速道路に乗ったはいいがその先で成功できない人々の意識は複雑だ。自分も成功しようとして高速道路に乗ったのだから、高速道路の先の数少ない成功者を非難は出来ない。むしろ高速道路に乗ろうともしない人に視線は向かう。自分の相当程度の努力がさほど報われないのに、そのような人間が自分と大差ないそこそこの評価で無難に過ごしていることに対してどう思うだろうか。日本においては、このような若いエリートの不満の結果が反映したのが昨年の衆院選の結果かもしれない。もちろん世代の問題が直接的であるが、将来的にはニート等に代替されるであろう。こういう真面目で優秀だがあまり恵まれない層は2割くらいだろうか。これは結果として日本の知識人の経済的弱者に対する意識をやや英国的な陰険で冷淡なものにするかもしれない。

 またデータ解析と取捨選択の技術は、より人間の根源的な欲求に対して明確な示唆を与える時に社会に与える衝撃は強くなる。例えば人間の寿命に関してはどうだろうか。今でも病院の良し悪しのデータベースは作られつつある。だがもう少し違った角度からの視線、例えば職業別の平均余命とかが見えてきたらどうであろう。特定職業の人気が急落するかもしれない。また趣味がテーマなら?住環境なら?どれ一つ取っても大変化が発生する。
 また結婚などをテーマにしたらどうだろう。amazonでの購買、ネットでの検索やページビューなどの個人の嗜好を表す情報を、人の手の加わらない自律システムに提供すれば、その見返りにある程度の人間関係の誘導を促されるというのはありかもしれない。今でも容姿さえお互いの容認範囲なら(苦笑)ネットでの親しい友人関係から初めてオフラインで会った時にブレイクするというのは聞く話だが。容姿すらも遺伝情報の提供があればいけるかもしれない。また、ちょっと言いにくいが年齢というのも評価要素なので、人間が自分を高く売れる時期をある特定年齢と判断できるかもしれない。結果、多くの人はある年齢で結婚するようになるとか、そんな可能性はどうであろうか。
 教育をテーマにしたらどうだろうか。今の我々は生まれたときにIT技術の恩恵を受けていたわけではない。高等教育のでの恩恵は見えやすい。しかし自分の子供を出生時から効率的に教育するプロセスが、現在の特定の学校に行かせる程度のものから、より生活全般に渡る細かいプロセスとなるかもしれない。

 こういう話は現時点では全く夢物語かもしれない。しかしながら、いずれも方向性として可能性が無いものではない。そして社会における人間の倫理観や意識はゆっくりとしか変化しない。上記のようなことは、いずれも長期的には当たり前の変化であっても、一つ世に出るごとに巨大な黒船が襲来したかのような受け止められ方をされるのであろう。Google Earthのようなパターンが大規模に繰り返されると思ってよい。つまり、全体としてはゆっくりとしか変わらないのに、ある時ある分野でルールと人間の意識が激変する。そのことに今後の社会変化の本質は集約されるのであろう。

 そのような社会の行く末はどうなるのだろうか。政治系のブログと言うことで、政治家が認識し、語っておかねばならない、覚悟を決めておかねばならないと思われることをいくつか挙げてみよう。

・格差の問題
 最近格差の拡大がどうこうと悶着があるが、そもそも個人の能力差が若い世代になればなるほど広がっているのだから、ミクロには色々不公平があってもマクロ的にそうなっているのは当たり前だと言うことを政治家も率直に語らなければいけない。それを原点にしないと話が進展しない。

・シンクタンクの活発化
 世の中にはタダで知的リソースを提供したり、ボランティアで政治活動をする人がいる。そういうベンチャー企業的な政治風土を持つのは現在では米国程度で、階級社会の欧州もアカデミズムの沈滞は色々と問題である。現在議員立法には議員個人がかなりの労力を必要としているが、立法のための主要な要件を整備・公開し、各議員が在野の知的リソースを利用しやすくするべきであろう。また場合によっては政策秘書のやや軽い地位を創設してもいいかも知れない。同時に立法は大統領制のごとく立法府所属の人間にのみ権利ありと厳格化してもいいかもしれない。(内閣構成者も党員としてしか立法できない、など)官僚を排除するためには知的には優秀な彼ら以上の知的リソースが必要であるというだけの話だ。ちゃんと使えていれば今回の民主党のメール問題のような事は避けられる。

・日本語という問題
 この本では言語の壁を破る技術を模索中であることも記されているが、その技術進展の速度とタイミング次第で異なる未来が予想される。まずなかなか壁が破れない場合、英語圏に比べて極端に知的リソース上の不利を甘受することになり、経済の停滞があるかもしれない。しかし社会不安の進行はむしろゆっくりしているかもしれない。壁が破れた場合はやや激烈で、日本語に堪能である事がほぼ唯一の自分の知的資源であるような人がかなりの苦境に立つであろう。しかし多くの企業にとてつもない成功への道が開かれる。そしてどちらになるかは政治家の行動では変えられないことを認識しておき、いずれの場合にも備えるべきだろう。

・世界情勢への影響
 個人としては全世界の人間にチャンスがある。企業と言う枠で見ても同様だが、しかし主権国家の枠組みは容易なことでは崩壊しない。そして企業と言うならどこかの主権国家にどうしてもその基盤は影響される。例えば先のamazonを例に取ると、再販制度が無いのでベストセラーの本には価格競争があり、そうでない本は高く売れるので利益がそこそこ上がるというのは典型的な例だ。結局法制度の影響は受ける。そして総合的に見れば、言論の自由が無いかタブーが多い国は沈滞することはほぼ確実、主権国家としては米国一人勝ち。EUはまぁ頑張る。日本は上記。後の国は法制度と治安がほぼ全てを決めるだろう。人間の能力をうまく使えれば成功する。

・ルール決定への意識
 このような巨大な社会変化に対し、方向性を多少なりとも影響付けられるのは強制力のある法律以外に無いだろう。しかもインターネットの性質上、全世界的に考えなければならない。国際政治での条約作成の提案能力を高める事も重要だが、国内法とのマッチングの速度を速めることが大切だ。例えば現在ハーグ条約で、内容によっては日本の裁判所の管轄権は外国に及ぶのだが、それを生かすような法整備はまるでされていない。逆に義務は履行せねばならないので一部国民のフラストレーションがあるが、これは日本の認識・努力不足である。

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Comments

そうなると、中国みたいにWeb2.0的な技術を社会統制に使おうとする国は、経済停滞を避けられないということでしょうか?

Posted by: Baatarism | 2006.03.03 at 10:46 AM

短期的にはともかく、長期的には間違いなくそうでしょう。もっともIT技術以前の時代でも、特殊事情でどうにかなる人口の非常に少ない国を除けば一人当たりGDPが2万ドル以上の国は政治体制に大差無く、その事実が何かを示唆していると考えるべきでしょう。

Posted by: カワセミ | 2006.03.04 at 01:35 AM

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