パレスチナ選挙結果に関する簡単な感想
パレスチナ議会選挙でハマスが過半数を確保したと報じられている。やや意外感を持って受け止められているようだが、そのこと自体にやや違和感を持った。日本やアメリカに限らず、多くの民主主義国はパレスチナを語るのに自国の基準を知らず知らずに当てはめているのだなと改めて思った。
いわゆる途上国に分類される国では、基本的に秩序の維持が最大の正統性を確保する。犯罪が発生したときに、曲がりなりにもそれを取り締まる組織に頼るしかない。実質的な能力に付き従うと考えてよいだろう。現在、パレスチナ自治政府の能力は限定されている。ハマスはテロ組織といっても組織化されており、福祉や医療などのサービスを市民に提供している。特にガザ地区では自治政府は世の中の現実解であるとパレスチナ市民にみなされてないのだろう。それを考えると自治政府の選挙結果は健闘したと表現することも可能だろう。
またこれは私の推察に過ぎないが、パレスチナの多少インテリな知識人としては、イスラム聖戦のような過激な組織ではなくまだ理性的で市民に実質的な義務を果たしているハマスを選択したのだぞという意識もあるのではないか。また自治政府の支持母体であるファタハの軍事部門であるアルアクサ殉教者団もイスラム聖戦同様に悪質だ。現在の自治政府はその面にも管理能力をさして発揮していないように思われる。
「どのような国も、その始まりには汚れたオムツを付けているものだ」という言葉がある。例えば中国なども、日本では近年反中感情が高まっているというものの、共産党初代の毛沢東の無茶苦茶さを考えれば、大局的に見れば長い時間をかけて少しずつ理性的になってきていると見えなくも無い。ハマスもスローガンは簡単には降ろせないとして、最低限イスラエルとの緊張関係を管理する能力さえ示し、結果的に共存する路線を長く続ければ望みもあるのだろう。そして50年とか100年とか経過して、人間が入れ替わって緊張が和らいだところで和平を進める、といった程度が現実解ではないだろうか。その意味ではイスラエルの壁設営も幾分は意味があるかもしれない。距離を置くことの意味もそれなりにあるのだ。もちろん引き裂かれる個別事象の悲劇は多く、近代的リベラリズムが敵視する手法ではあるが。
では、民主主義国が現在享受している安定した社会というのは短期間に手に入らないのだろうか?方法は無いことも無い。それは、より統治能力の高い外国の治安維持部隊が大規模に展開し、山のように資金を投下し、テロ組織に関しては徹底的な掃討と武装解除を行い、市民に治安の良さと復興による豊かさを実感してもらい、それを5年なり10年なり続け、その間必要になる恐らく10万かその付近の兵力を維持し続け、何千人犠牲が出ても絶対に撤退しないことだ。平和で安定した社会というのは、そこまでやってやっとそこそこ確保され、それでもいつ崩壊するか分からないものなのだ。書かなくても分かると思うが、それは現在米国がイラクでやっていること、もしくはよりよくやるべきだった事と変わらない。
('06.1.29追記)
選挙結果、および選挙制度のリンクを追加しておきます。ハマスの政党名はイメージ戦略としてもうまいですね。選挙制度のページでは、やや下のほうにパワーポイントファイルへのリンクもあります。
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