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国連安保理改革の行方(10)

 米国が、常任理事国入りを希望している日本に対し、多くの加盟国の賛同を得られる案を共に協議するという話が報じられている。いつもの事だが、雪斎殿のエントリはタイムリーでポイントを突いていて参考になる(参照)。
 私はこのテーマ関連のエントリで何度も述べているのだが、日本の常任理事国入りには賛成だがG4案には反対という米国の発言はそのままの意味で解釈すべきだろう。しかしながら日本国内においては米国は非協力的との印象を持つ人もおり、極端な意見となれば、米国も本音では反対で中国との裏取引で潰したのではないかという言すらある。誤りなのだが、米国としては日本の不信感を払拭する必要を感じたのだろうか。いずれにせよ、世界第二の経済大国をここまで面倒見なければならないとは、米国も気の毒なことである。
 これに対し、G4案推進の今までの経緯から慎重な対応を考える人もいるようだ。しかしながら現在G4案が通る可能性がゼロに近いことは周知の事実である。この問題については愚直ながら正攻法で進めるしかない。私は以下のような手順が重要ではないかと考えている。それぞれかなりのオーバーラップが存在するが、大まかな流れとしてはこのように進めるのが良いと思う。

・G4案失敗の総括
 この案はG4のどこか特定の国が執着したのかもしれない。しかしながらそれ以外の国から見ればG4の結束を示すものであり、四ヶ国全てに責任があることは明白である。この案に賛成するように世界の多数の国に強い要望を出し、中には日本も含めたG4からの脅迫という印象を感じた国もあるかもしれない。それであるが故に、結果として賛成を得られなかった案のどこが悪かったかを総括するのは重要である。それぞれの国がはっきりとしたコメントを出すべきだろう。できれば指導者の直接的な発言がより良い。また、G4のそれぞれの国がどのようなコメントを出すかによって、再度行動を共にするかといった、今後の外交展開を考慮する材料の一つともなる。また言うまでも無いが、賛同してくれた国に謝辞などを述べるといった事は大事だろう。

・G4諸国の外交方針の確認
 これは理念、あるいは建前の戦いとも言える。そもそも国連改革の一環としての安保理改革として、安保理をどうしたいのかというそれぞれの国の理念がこれまでは見え辛かった。単にステータスを占めたいのか、それとも常任理事国になった後に何か今までの安保理と違ったものにしようというビジョンがあるのかという事である。現実を考えれば、自国の立場が少しでも有利になればという程度の話かもしれない。しかし各国は建前を大声で主張してきた。それを再確認するのは重要だろう。そして日本はこれまで同様に負荷を負うと言うことをはっきりと宣言するべきだろう。単なる自己主張の延長である国は、この段階で方針が違うとして距離を置くのが良いだろう。次の行動での共同行動とも関連してくる。そして率直に言うと、インドはこの付近で怪しいかもしれない。

・改革された安保理における行動に関して
 これは米国の考え次第で大きく変わるだろう。米国は国連安保理をどうしたいのか決めかねているようにも見える。元々の要求水準が低く、セレモニーに過ぎないと考えているだろうが、機能すればそれに越したことはないとも思っているだろう。そのため、ある程度同盟とのオーバーラップを意図する方向で動いてはどうだろうか。
 第二次大戦直後は、これを本気で安全保障の強制力の源泉と各国が考えていたフシがある。軍事委員会などもあったようだ。しかしこれはあっという間に機能しなくなった。それを意図するというほどではないものの、小規模でも常設の多国籍部隊の設置を常任理事国の主導で構成すると提案してはどうだろうか。資金協力は当然である。そして参加はあくまで有志とし、しかしながらその貢献を毎年総会に報告するなど、数字で残るような枠組みが良いだろう。

・米国と各国への最終的な説得方針
 米国を説得するとすれば、「安全保障に関する価値の共有」と、「確実性と長期の安定性」をキーワードにすると良いと思う。前者は、安全保障に関する考え方の違う事から、しばしば現在の安保理が機能しなくなる事を説き(例えば以前のエントリで述べたような感覚の違いがあると紛糾する。6ヶ国協議の紛糾も機能しない安保理と共通点があり、参考になる)価値観の共通する、かつ負荷を負う能力と意思のある国とするべきだろう。具体的に言うとドイツになると思う。そして、この拡大安保理のメンバーは比較的安定性がある。旧G5という、経済大国が含まれ、長い間米国と同盟を結んでいた国でもある。現在の安保理常任理事国の問題は大半中国、次いでロシアにあると思うが、ロシアを極力引き寄せ、孤立を避けたい中国を黙認に持っていくというのが近未来の風景として安定感があるだろう。不確実の脅威に対応しなければならない現代で、伝統的な価値観を共有する安定した確実な枠組みは価値がある、と主張してはどうだろうか。

 そしてこれが重要だと思うのだが、多くの国を説得可能な案が現実には無い以上、「あの付近の国なら仕方が無いだろう」というような、賛成というよりは容認を目指すアプローチが奏効すると思われる。米国は不安定の弧の戦略からインドを重視しているようだが、この選択は案外後で苦労する結果になると思う。

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韓国の戦時作戦統制権返還問題について

 米韓同盟が危機に瀕していると言われている。とはいうものの、簡単に崩壊するという考えに私は与しない。以前に記述したエントリ(参照)があるが、私の考え方としては今も変わっていない。しかしながら、それから事態が好転しているというわけでもなく、中にはまずい経過を辿っているテーマもある。その典型がこの戦時作戦統制権返還問題である。
 これは極東ブログさんの方で扱われているエントリ(参照2)もあり、そちらも目を通して欲しい。ただこの韓国の要求は、他の米国の同盟関係や様々な作戦時の多国籍軍の状況と比較するといかにも唐突な感が否めない。いつもの自己主張の現れとも見れるが、これは他の問題と違いとても危ない話なのだ。そもそも同盟国の要求する内容ではない。説明が難しいのだが、なかなか良い資料(参照3)があったのでそれを使わせてもらう。いつものことながら手抜きだ(苦笑)

 これを見ると、指揮の下に作戦統制と戦術統制がある。そして戦術統制は、編成後の部隊に対する指示であり、これは同一の作戦区域で行動する限りにおいては、何があっても統一しなければならない性質のものである。この資料ではコソヴォに展開する部隊においてロシアは戦術統制しか受けないと記されている、逆に言えば、ロシアとNATOくらいの関係の場合においてすら(いくらロシアが準加盟国扱いとは言え)戦術統制は必須なのだ。理由は簡単で、そうでないと犠牲が増えるだけだからだ。
 そして作戦統制だ。これは司令部及び部隊の組織化が含まれているというのがポイントだろう。多国籍の混成部隊を編成する権限もあると考えるとイメージが湧きやすいだろうか。これが共同軍事行動ということで、同盟の意味である。海上で日本のイージス艦が米空母を護衛するなども具体例と言ってよいだろう。この権限を独立して持つと韓国は主張しているのである。これが何を意味するかというと、同一の地域で共同作戦は行わないということだ。同盟国でそれが成立するとなれば、それは全く違う地域で個別に活動している場合だ。例えば二度の世界大戦の欧州における対独東部戦線と西部戦線などが例だろうか。まさにせいぜいその程度のものだ。ちなみに両戦線で戦術統制を受けなかった部隊はあっさり壊滅するか良くて何の役にも立たないという結果だった。それがこの作戦統制-戦術統制の現代的な階層化の概念に結び付いていったのだろう。

 つまり、戦時の作戦統制権を独立して持つというのは、その地域における作戦を終始責任を持って最初から最後まで自力でまかなうという事だ。少なくともそれが国際常識だ。米国は当然そう解釈する。もっともこれは韓国のいつもの錯乱として主張されているのかも知れず、それで国民の生死まで左右されかねないとなれば、それは政治の恐るべき責任放棄でしかない。そして北朝鮮はこれをどう解釈するのだろうか。

 以前のエントリで、米国は教師の国と書いた。これは奇妙に今回の事態に符合する。米国は粘り強い指導を行う国だが、それは生徒が教室にいての話だ。自力でやると教室を出て行く生徒を探しに出かけることは無い(日本的感覚であると少し違うのだろうが)まして授業を妨害すると容赦なく叩き出すのが彼らの文化だ。韓国はそれを理解しているのだろうか。現状を見るに、さして覚悟あるわけでもなく、いざとなったら泣き付くだけのようにも見える。だがこれは、一度事態を動かすと簡単に回復できない問題かもしれないのだ。

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小泉首相に関する個人的見解

 今度のぐっちーさんのエントリは非常に興味深い。小泉首相はかなりの経済通らしい。これで今まで疑問に思っていたことがかなり氷解した気分だ。今回はちょっと個人的なエントリになってしまうが許されたい。少し関連したエントリを書いた事もあるのでそれも見て欲しい。

 元々私は、小泉首相をそれほど高く評価していたわけではなかった。就任当初は少々残念に思ったくらいだ。有権者が総選挙において有能な野党を何がしか選択するという、主体的な行動で政治を動かすことが重要だと考えていたからだ。その過程を停滞させるような思いがしていた。また経済に詳しいとも思えなかったので、最初の半年くらいは明確に不支持だった。

 おやと思ったのは9.11の後だ。対応が極めて日本人離れしている。細かい部分も含めて安全保障や外交に関する発言が極めて正確で、欧米の伝統的な中道政治のリアリズムを感じたからだ。だから経済は怪しいかもしれないが安保の件があるので数年我慢せざるを得ないかと思って明確な支持派となった。これが2002年の頭くらい。後北朝鮮問題がクローズアップされるが、この時も欧州を歴訪して政策に対する支持を固めている。東欧の回り方を見ているとこの時に日露の領土問題解決の種蒔きもやっているのかなと思ったが、それはまだ分からない。まぁこれは今も色々動いてはいるだろう。イラク戦争の時も対応は興味深い。最後までフランスとドイツ、特にフランスの支持を固めることに労力を集中している。これはイギリスも同じであるが、明白に日本は能動的と言えた。
 経済政策に関しては当初丸投げとしか見えなかった。日銀の福井総裁の手柄でしかないと思っていたが、冷静に考えると日本の中央銀行の独立性といっても怪しい事この上ない(苦笑)竹中氏の行動も胡散臭いが政局の役には立っている。そもそもここ数年は苦しいと事の最初から言っていた。ひょっとして予定のうちか。為替介入は国内政治に影響を及ぼさないリフレ政策と解釈することは出来ないだろうかと考えた。となれば、国内政治上の問題が無くなれば?

 単なる予想だが、この後の民主党の政策がより緊縮財政に向かう可能性を見越して、短期的に改革競争的な雰囲気に持ち込み、リフレ政策で梯子を外すのではないか。ひょっとして真面目な前原党首はハメられている最中かもしれない。リフレ政策に傾きそうな主要な党内政治家を叩き出した後の導入と見えなくも無い。とすると、首相後継候補を閣僚にというのは、日頃腹を割って人と話すことの少なそうな小泉首相が、誰が自分の路線に近いか判定する作業なのかもしれない。そう考えると、実は距離の遠そうな安部氏が一番危ないかなと考える。次の首相は経済畑で少し地味目かもしれない。もっとも1年後に外交的に抜き差しならない事態が展開して(例えば北朝鮮が今にも、とか)総理が代わってられる状況に無く、やむを得ずとして任期延長という話もあるかもしれない。あるいは後継候補に失望となれば半ば人為的にそんな事をやるかもしれない。

 民主政治の歴史が長く、知識人の層が厚い国ならどこでも多かれ少なかれそうだが、特に日本人は政治家や官僚の能力を実態より低く見過ぎる傾向があると思う。頭のいいほうから数えて数%を除き、その後20~25%くらいの人がそんな考えに傾斜するのではないか。居酒屋談義で怪気炎がこの付近の層というところだろう。かえって日頃無関心な大衆のほうが「駄目ながらもそこそこにはまとめるんじゃないの?」とかタカをくくって結果オーライが日本の政治の風景かとも思う。小泉首相の件に限らず、最近自分で薄々分かっていたがやはり認識違いだったかと思う事が多い。世の中、自分が思う以上に頭のいい人は多いということだろう。

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プーチン訪日で日露関係は前進するか

 プーチン大統領の来日が11月に予定されている。領土問題の進展に関心が集まっているが、普通に考えると困難だろう。しかしながら、ここ最近は今までなかったような微妙な反応が出てきているので取り上げてみたい。
 この領土問題そのものに関しては、以前にエントリを上げている(参照)のでそちらも参照して欲しい。本質的には主権の問題というのがポイントである。これは実のところ日露双方とも立場は全く同じで、いずれも多少の経済的な負担をしても主権を維持したいと考えている。そのため本質的な対立があり、なかなか進展しないのだ。

 その認識の前提に立てば、ロシア側から出てくる意見は首尾一貫している。例えばプーチン大統領の意見は何度も報道されているが、一貫して主権に関しては譲らないし、現地への投資を行っても立場を強化しようとの意図だ。資源などをネタに、政治経済各方面での見返りで日本に譲歩を促すとのやり方は、実際伝統的に日本側が模索している考え方と同様だ。最近ロシアの研究機関の提言として報道されている内容も、それよりは大胆ながら考え方としては同じだ(参照)。択捉・国後では経済活動を認める一方、主権の問題としては50年間凍結するとしている。主権が問題なのだからそれは解決とはならないのだが。いずれにせよ日露の立場は近い。両国は政治文化の土壌も似ているのかもしれない。欧米文化に対する距離の取り方などは特に該当するところだろうか。

 また日本として頭に置いておいたほうがいい事として、欧州の伝統的な立場の微妙な変化である。欧州議会の決議に関しては以前のエントリでも扱った(参照)以前サミットで日本が北方領土問題を取り扱い、欧州から冷淡な扱いを受けたことは覚えている人も多いだろう。その時点から変化した事は何かと言えば、東欧圏へのEU・NATOの拡大である。今回も領土問題が政府の公式な見解として継続しているエストニアやラトビアの意向があるのは間違いないと私自身は思っている。独力で力関係上不利な小国がこの種の組織を活用するのは常套手段だ。もちろん日本に協力を求めることもあるだろう。ただ、この付近は日本側とすれば判断するべき重要なポイントになる。

 ロシア側の伝統的な立場を考えると、第二次世界大戦での結果を見直したくないというのは絶対条件に近い。現実の国境線がどのくらい変わるかというのが問題ではなく、政治的に大きな環境変化であると見なされてしまう妥協が出来ないということだ。もちろん、過去を振り返ればいろいろな問題が出てくる東欧や中央アジア方面の問題が主軸となる。この点で、北方領土の二島返還は日ソ共同宣言もあることでもあり、従来の環境の微調整で処理可能なのだろう。しかし択捉・国後はそうではない。ともかく日本側も宣伝し過ぎた。二島返還を目指すのであれば問題の国際化は有効だが、四島返還を目指すのであればむしろ問題の矮小化が必要であった。この件は現在の日本政界では理解されていそうであるが、勿論手遅れである。中国はこの矮小化に成功して領土問題を解決できたと私は考えている。

 それ故、日本が東欧の国境問題に対応するときには決意を固めなくてはならない。手遅れながらも問題の矮小化により、ロシアの他の国境問題に波及しないような路線を選択するのか、あるいは欧州とも連携し、アメリカのヤルタ体制批判メッセージとも合わせ、やや大規模な見直しをロシアに求めつつ進めるのか、どちらの路線を選択するのかという事を。どちらで対応するかによってシナリオは全く違う。この事を頭に置き、いずれかで首尾一貫しないとまとまる交渉もまとまらないだろう。

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雑記いろいろ('05.10.21)

・靖国参拝
 今までにもいくつかのエントリで書いていた通りである。外交的にもそもそも出尽くし感がある。次の首相で仕切り直しだろう。ただ靖国神社が持っている歴史観に賛同するわけではないというのをもう少し何らかの形で内外に示しておくべきだろう。例えばヴァチカンは世界中のキリスト教徒、わけてもカトリック教徒には特別な敬意を払われているし、サン・ピエトロ大聖堂は世界中から人が集まるが、その人々がすべてヴァチカンの保守的な倫理観に賛同しているわけではない。例えば妊娠中絶問題などは典型だろう。
 私個人は、伊勢神宮や出雲大社、厳島神社というような日本の代表的な神社と比較して靖国神社は「格」自体は落ちると思っている(日光東照宮すら多少はそう思っている)実際機能としての側面が強いだろう。しかし説明するならそのように「ここに行くしかないのだ」という形を取るしかないのではないか。それでも心の中の問題であるから、政治家個々人の信念によって、哀悼の意を示せれば、どのような形でもどこに行ってもいいとは思う。

・ラムズフェルド訪中
 李登輝訪米が実は大ニュースなのだが、中国国内的にはかなり隠蔽できている。米国はこの付近の外交調整が昔からうまい。極力明確な言質を公式に取っておこうとするラムズフェルドもさすがとしかいいようが無い。しかも当初日本素通りの形と見えたから・・・・

・普天間基地
 随分駄目な経緯を辿っている。防衛庁の関係者が問題?閣僚級で強力に主導するしかないのではないか。

・民主党前原党首
 一応思想的には首尾一貫している。ただ全体を通してみると、良い点は与党で無いと発揮されないという面が強い。野党で発言すると軽く見える。これは構造上の問題なのでかなり深刻。米軍再編の経緯でもしっかり突いて対案はここで出したほうが良かったろう。もっとも安全保障は民主党のアキレス腱なので党内事情が厳しいが・・・・・

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ビデオiPodの登場で映像配信ビジネスはどう進むか

 映像ファイルの視聴が可能なiPodが発売され、話題になっている。私自身、聴く音楽はクラシックが多いという事もあり、旧来の携帯音楽プレイヤーや音楽ファイルの販売にはあまり興味は無かった。しかし映像となると話は別だ。ちょうどR30氏が面白いエントリを挙げている、私も映像配信ビジネスで考えたことを書いて見たい。直感でしかないのでツッコミ所満載だとは思うが。

 まず、映像配信ビジネスの対象として、典型となるものを複数挙げてみたい。

(1) ハリウッド映画など、旧来はDVDのようなパッケージ販売の対象となるもの

(2) 今回取り上げられたミュージッククリップのように、従来パッケージでは扱いにくかった短時間・多種類のコンテンツ

(3) テレビドラマなど、家庭用録画機のタイムシフト需要を補うような、テレビ番組コンテンツの販売

 この3種類は仮に想定したものであるが、これにより一つの傾向が見えてくる。世界的な普遍性は(1)が高く、地域事情の影響は(3)が受けやすい。(2)はその中間だが、最終的な市場としては大きくは無いかもしれない。(1)(3)どちらかを前提としたビジネスに吸収される可能性がある。

 ここでビジネスの方法論として、(1)から始めて全世界を覆うような、例えばamazon.com的アプローチでいくのか(Appleがこれに相当する)(3)から始めてある国/地域でがっちり基盤を固めて、(1)のビジネスもその地域では従わざるを得ないようにするのか(CS放送におけるSKYPerfecTV!あたりがやや近いか)の2種類が考えられる。これは主体となる企業がどのようにビジネスモデルを考えるかだけではなく、周辺環境にも依存する。例えば国内の放送業界が中途半端に抵抗しモタモタしているとAppleのやり方に飲み込まれるだけだろうし、日本国内に限ればタイムシフト需要が強いのでそこと連携したビジネスが早期に成立すれば囲い込める可能性がある。企業はその付近の読みや働きかけも含めて進めなくてはならないが、ここでは双方のアプローチを考えてみる。

 まず、世界的な基盤を築くやり方としては、ダウンロード販売のインターフェイス/保存先として受け側としてPCを使う事は動かないと考えるべきだろう。となれば、誰でも思いつくが家庭用PCの標準OSであるWindowsに目が向く。ブラウザのときのようにダウンロード環境の標準となるソフトをOSに組み込んでおく(今でも多少あるが)という手がある。PCメーカーに呼びかけて最初の利用は無料にするとかいう手もあるだろう。ただRealへの出資などやり方も中途半端で、近年のMSはやや迷走気味にも見える。この路線にはややバリエーションがある。Apple的にダウンロードそのものではそれほど利益は出ないが端末ではそこそこ儲かるというような場合、端末機器のバリエーションの無さを突いて、基幹部品を全体需要を読んで一括調達し、原価を下げるサポートをしつつ標準にのっとった機器を各端末メーカーに作らせるという方法はあるかと思う。もちろん初期段階では携帯電話のように端末価格の肩代わりは検討しても良い。それとは逆に端末で利益を挙げるなら、最初はコンテンツ販売を安くして利用者を増やす努力に注力となるだろう。また端末を特定するならMSとSONYの組み合わせくらいしか成立しないだろう。MSはSONYと組みたがって声を掛けているという話を聞いたことがあるがどうなっているのだろうか。

 これとは逆に、特定の国/地域を固めて進める場合はテレビ放送が最初のターゲットになる。北米ではTiVoあたりからステップを踏むだろうし、欧州とアジアについては、偏見を交えて書くと欧州では早期にビジネスが成立するとは思い難いしアジアでは極端にローカルな方法論に傾く可能性が強く予想しにくい。というわけで日本国内に限って考えてみる。この場合、まずは片端から番組を録画してメディアを大量に消費するような旧来のAV機器マニアを、片端からファイルをダウンロードしてHDDを埋めていくダウンロードマニアにするのが当初アプローチとして良いだろう。それに加え、一般人をターゲットとした場合は、本放送の当日や翌日にはすぐにファイルがダウンできるような体制を整えるべきだろう。その場合の販売インターフェイスとしてはPCで見るEPG画面が最も早いだろう。特定の番組表サイトとか、またはDVDレコで言うのなら東芝のRDシリーズあたりが押さえている市場が該当するかもしれない。RDで録画できなかった場合、フラグか何かでレコ内部の状態を検知して、ダウンロードリストに自動的に加える、などのアプローチはいいかもしれない。ダウン先のメディアはPCとDVDレコ双方を指定できれば家庭用としては完璧かもしれない。またこの方法だと特定のレコメーカーで囲い込めるのでレコーダー側での利益も上げられる可能性がある。もちろん放送局側の協力は必須である。建前上「標準」を提供しているという形に持っていく政治的対応のほうが課題が多いかもしれない。

 AVマニアの多い国でもあるし、少しばかり大胆になるだけで、かなりの利益の挙げられるビジネスになると思うがどうか。放送局は自前のコンテンツをもっと有効利用できると思う。現在の地位は特権であり、維持するだけでも大変な時代だと思うのだが。もっとも、どう転んでも今のような圧倒的な主導権は薄れるだろう。

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欧州と日本の国境問題に思う

 欧州で難民問題というと、直感的にはイスラム圏からの問題を連想してしまう。ただ文化的に近い東欧圏からのほうがむしろ伝統的な問題であるようだ。
 経済先進国との格差を動機とした移民の感覚は、日本も伝統的には持っていた。しかし遅くとも20世紀前半くらいまであり、それ以降は国内が繁栄しているので今日の日本人は忘れてしまったようだ。大まかにいって一人あたりGNPが2倍程度では移民の動機付けとしてはやや足りず、3~4倍とかそれ以上の格差が必要になるらしい。日本から見てそのような国は近未来を含めて存在しないので、皮膚感覚としては失われたままだろう。もちろん日本人にとって幸運なことではあるが。当然の事ながら、今の日本は難民の流入を警戒する立場だ。それでも島国であるので、地続きの欧州と比較すれば随分有利だ。また欧州社会が安定を確保するために払っている努力は難民問題だけではない。日本社会を欧米から評するとき、「秩序社会」というようなニュアンスで語られることが多いが、これの背景を考えると重い言葉のように思う。

 今となってはやや昔のものだが、このレポートは興味深い。東欧の国境問題は昔からややこしいが、チェコとスロバキアの分離の件などは確かに象徴的だ。当然ドイツは裏で支援していただろうとの想像は誰でも簡単に付くが、ただスロバキアも同じように西側に接近していったのは今日分かっている。当時の段階でも方向性は予想されていただろう。ドイツが難民流入対策の時間を稼ぐためにチェコとスロバキアは2つの国になったのか。そう言うのは確かに言い過ぎだろう。でも完全に否定できない面もある。19世紀の亡霊を見ているようなやや苦い思いもする。ウクライナ~ポーランド間に関してはEUで広く問題になり有名だった。それが東欧全域に渡っているかと思うと、奇麗事では済まないのだろうが。そしてラトビアが最近になってロシアとの国境問題における主張を強めている。それは西側への接近が一段落したからだろうか。ならばロシアの不満も分からなくは無い。個人的にはバルト諸国のイメージに似合わぬ逞しさに好感を覚えるのであるが。

 アジアで経済格差による移民となれば、少し前なら中国が主要なテーマであった。日本の経済援助はその流入圧力をかわすためのツールという側面もある。その観点で言うと、中国に関してはその問題が中国とその周辺国から中国国内に移行したとも言えなくもない。そして日本の少なからぬ政治勢力、例えば外務省のリアリスト派などは中国への経済援助によるメリットは少なくなったと判断したのかもしれず、そのような人々は日本の伝統的な反中派に戻ったという可能性は無いだろうか。問題は難民というより観光を名目とした入国にシフトしているので、マクロ的な対応は功を奏さないのかもしれない。

 もちろんナショナリズムという問題はある。しかし国境問題は本質的に人の管理と直結している。日本の領土問題はいずれも純粋な主権の問題に近い。それは世界的に見れば幸運な部類として認識されているのではあるまいか。

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保守政治勢力の変化と歴史観

 これは漠然とした印象であり、勘のようなものに過ぎないが、近年右傾化していると言われつつある論壇は、むしろ今年あたりから退潮の傾向があるのではないか。自分が良く見て回るブログで、最近保守論壇への嫌悪感を記しているのが目立つせいもあって、私がそう思っているだけかもしれないが。

 保守政治家といっても、様々な立場の人がいる、雪斎殿のエントリで、マトリクス化による分析がなされたものがある。非常に参考になるので目を通して欲しい。そしてここでの分類では強いて言えばx軸かと思うが、いわゆる保守政治家の中でも、儒教的価値観や土着的伝統政治を重視する「伝統主義者」とでもいうような勢力が退潮したのではないかという印象を持っている。そしてこの政治勢力はしばしば民族主義的ナショナリズムの傾向も重なる。

 この政治勢力の伸び悩みは様々な要因が考えられるが、私は情報化社会の進展が一つの要因だと思う。例えばブログなどで英語圏の情報も含む世界情勢に接している人で、一定以上の知的水準にある人は価値観の相対化が進んでいる。視野の広さが狭隘な視点に陥るのを防いでいるのではないか。そして自国が同じ立場に置かれればどうかという問いは自ら発せられる。そして、この民族主義的路線が経済的・政治的に高コストであることも理解しており、近年の経済情勢では選択し辛いとの認識があるのではないか。もちろん若い世代はしばしば民族主義やリベラルに過剰に流れはするが、それでも全体的に見ればどの時代と比較しても穏健とは言えまいか。

 主張の表出例として、第二次世界大戦の扱いなどがある。これに関しては近年冷静な議論も増えてきたので喜ばしい。最近だと中央公論(2005.11号)に記載された大杉一雄氏の論考が優れていると感じた。当然とは言え、問題を開戦前の外交過程に絞っている点、政治家の具体名を挙げてその行動を逐一記している点など、基本的なスタンスに好感を覚える。日本の南部仏印進駐が決定的なターニングポイントだった点の扱いが大きいのも適切だ。識者には常識とは言うものの、中学や高校の教科書等でももっときっちり記述されて良いことだろう。そして日本の取り得た選択、米国の取り得た選択を記しており、ルーズベルトの提案、日米首脳会談の模索などを取り上げている。

 この南部仏印進駐に関しては思うことも多い。時代を遡るが、日清・日露戦争は日本の侵略意図の開始とする史観がある。主に左派勢力から強く主張されてきたが言うまでも無く誤りである。これは朝鮮半島近辺を舞台とする安全保障リスクへの日本の反応として発生している。緩衝地帯とか中立地帯にどこかの勢力が軍を進めれば地域が不安定になるのは古来より変わりが無い。イギリスが第一次世界大戦に参加したのはベルギー中立侵犯であることを考えるべきだろう。冷戦期でもチェコは見捨てられたがソ連がスウェーデンやオーストリアに侵攻したら大戦争になったろう。そしてアフガンで勢力圏と緩衝地帯の認識を間違えて大失敗した。もちろん当時の南部仏印は英領マレーシア、シンガポールの目の前である。実のところ近代の戦争の多くが、この安全保障リスクへの対応で発生している。主要国が関わったものとなればその大半と言えるかもしれない。

 日本は自国の歴史を振り返るだけで適切な解に辿り付く事は出来たのだ。対米戦争不可避などといった主張は誤りに過ぎない。自国中心主義でなく、全て相対的に考えることがいつの時代も常に正解を導くのであろう。

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IAEAのノーベル平和賞受賞の意味

 ノーベル賞は、部門によって異なるが、スウェーデンのアカデミーや研究所が受賞者を決定する。しかしこのノーベル平和賞だけはノルウェー国会が選出する。そのため政治的との批判は常に免れないし、実際良くも悪くも欧州知識人の好む多少リベラルな傾向が反映される。
 今回のIAEAもその典型の一つだろう。イランや北朝鮮問題など、核不拡散への後押しという側面もあるが、米国に対する穏やかな抗議という面もある。プレスリリースはこのようなものだが、国際的な協力というのがミソだろう。 この付近に関しては、The Economistが率直かつ皮肉に表現している。(参照)米国がIAEAを散々に非難したことは記憶に新しい。確かに最終責任を取らない言いっぱなしの団体という面はあるし、理念的に過ぎるという批判はありだろう。
 しかしながら、国際的な権力政治というもので、この種の国際機関がある種の権威を持つ事により、政治的決着を図る事を容易にするという面はある。例えばロシアのような国に関しては意外にこのようなアプローチが効果があるようだ。あの国の政治力学もいま少し分かりにくいが、可能であれば極力文明的でありたいという傾向はあるように思う。例えばEUあたりが噛み付いた時の反応は、反発はするがなかなか微妙で興味深い。その意味で、前回の北朝鮮関連の6ヶ国協議で国際的な核不拡散体制への復帰を盛り込んだのは、ロシア経由で中国を説得するという当初から構想されていたかもしれない手法の現実化という面もあるかもしれない。実際に協議後のロシアの反応は素早かった。

P.S
 ロシア絡みだからというわけではないが、今夜のNHK、BS-Hiのバレエ「火の鳥」はお薦め。以前にも放送していたが、好評なので再放送となったのかも。

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普天間基地移転問題では防衛庁も問題か

 米軍再編の話が挙がっているが、この話題の日本側の対応は相変わらず奇妙だ。ラムズフェルド国防長官の来日が中止されたようで、まだ紛糾しているようだ。もちろん国防総省の担当者はイライラしているだろう。何しろ衆院選、参院選、そして今回の衆院選といつも選挙を理由に先延ばしされているので、日本で完璧な政権基盤が出来たこの時期に強硬になるのは不思議ではない。マスコミへのリークが意外とか言っている防衛庁の担当者の感覚のほうが問題だろう。

 米国での報道は、例えばNY Timesなどが典型だが、事実関係を淡々と述べているだけで感情的にでもない(参照)普天間基地以外の問題では特に対立することも無く意見が一致しているようだ。この件の米国側の見解では、珍しく朝日新聞の記事が参考になった(参照)。シュワブでの訓練場移転に関して、説得力ある代替案が無いという。言われてみると疑問が氷解する。兵士にとって日々の訓練がどれほど重要か、死傷率に影響があるかというのは日本人は忘れてしまったようだ。しかし防衛庁までこんな意見を言うようでは日本の浮世離れもまだまだ抜けてないとしかいいようがない。恐らく気候なども含めて類似した訓練施設の提示を求められているのであろうが、それは困難だろう。だとしたら日本の提示した当初案が問題だったのではないか。それこそ当初検討されていた嘉手納への統合を詰めて、それに伴い一部施設の移転の提案でもしたほうがマシだったのではないだろうか。

 ハイテク戦争になればなるほど、個々の兵士のサポートは重要性が増す。今回に限らずそれを考えるべきだろう。もっとも最近の日本は兵士の厚生面などの重要さも認め、米軍支援予算の柔軟な使用を認めるといった進歩はあるようだが。

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欧州における宗教の取り扱われ方

 首相の靖国参拝問題で政教分離の原則がまた話題になっている。裁判の内容に関する議論は色々あれど、全般として政教分離の原則を厳しく判定したという事実ではある。世界的に見ても日本はこの付近の厳格さが比較的受け入れられる傾向があるようだ。

 欧米諸国で、日本以上にこの種の政教分離へのこだわりが強い国となるとフランスだろうか。この国は人種差別は少ないかもしれないが文化差別は強く、その意味では日本との共通点も多い。母国語がペラペラな黒人に対しては両国とも比較的対応が温かいだろう。イギリスとなると、異質なものを抱え込んで割と平然としているという印象がある。その付近の図太さは万事に完全主義の日本人に真似をしにくいかもしれない。欧州の事情ということで、比較的リベラルな立場からのル・モンドの記事があり、なかなか参考になる。日本はというと、独伊あたりの比較的保守層が近いと言えるかもしれない。ただ日本は宗教が持つ倫理的な縛りの部分を儒教の伝統が補っており、死生観などの方に宗教の役割が集中している。そのためややフランス的な感覚も受容される余地があるのだが、この付近は欧米人にちゃんと説明してもなかなか理解されない事ではある。

 フランスがこのような文化状況になったのは、やはりユグノー戦争のせいと言えるだろうか。概して内戦はその国の歴史的記憶に大きな傷を残すが、今日先進国といわれる国の中では、米国の南北戦争に次ぐくらいの影響が残っているのかもしれない。期間も長いし犠牲者数も多い。これが16世紀後半であるから、思えば日本の発展段階は遅いというほどでもなかった。後にこれまた悲惨な三十年戦争が発生するが、そもそも統一国家の成立時期が遅いドイツではまた違った記憶となったのかもしれない。対外戦争の延長でドイツは被害者的に考えたのだろうか。むしろ19世紀後半から20世紀前半のドイツ人の屈折の原点かもしれない。

 欧州では民族とか人種という表現をすると一直線に宗教に結び付く傾向がある。昔から日本はこの付近の感覚がないせいでコミュニケーションに失敗している。ナチスドイツがユダヤ人をどう定義したかというとそれは宗教である。日本人は自分達だけ黄色人種と屈折しているが、欧州内での違いが無視できるほど小さいわけでもない。他国とは多少外見で距離がある、程度に構えて平然としていれば良いだろう。この日本人の屈折は昔からのものなので根が深いのだが、例えば国際連盟創設時の人種差別撤廃提案などでの失敗などがそれを象徴する。当然欧州ではその多くを宗教と捉えたわけで、第一次世界大戦の発生経緯を考えるだけでも簡単に通るわけがない。この種のギャップがそれなりに政治のレベルで解消されたのは驚くほど最近の事だろう。もちろん日本のマスコミや世論のレベルではまだまだであるが。

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