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ポーツマス条約に思う日本外交の特質

 日露戦争終結の舞台となったポーツマス。そこの海軍工廠の閉鎖問題がしばらく議論されていたが、結局閉鎖を免れたようだ。しかし日露戦争というと歴史の彼方という印象があるが、わずか100年である。その後の第一次世界大戦、シベリア出兵、第二次世界大戦とさして息つく暇もない激動で人々の印象が薄れるのも早かったろう。20世紀後半の日本は随分のんびりしたものだったと痛感する。

 この戦争は米国の仲介によるポーツマス条約で終了した。この戦争は日本人にとっては名誉あるものと記憶された。人々の意識として考えれば、欧州で言うなら少し前の時代、ナポレオンとかせいぜい普仏戦争に相当しよう。苦難の末の勝利、悲劇と共に栄光もまたそこにあるという、「古き佳き時代」の戦争だった。しかし第一次世界大戦までの年月の短さを考えれば、消耗戦による限界を超えた悲劇は既に予見されていた。つまり今日客観的にこの戦争を見れば「大国同士の戦争としては驚くほど被害が少ない」と評されるべきだろう。しかし当時の日本人はそう考えなかった。補足すれば、実のところ自国の兵士の死傷に対する許容度は、欧米と比べて一貫して日本は少ない。恐らく1000年来変わってないのではないか。もっともそれを今日責めるのは無理だろう。日本だけではない。欧州もクリミア戦争での教訓は生かせなかった。どっちも自国の中核部から遠い辺境の戦争として国民に実感は薄かった。この偶然は今にして思えば悲劇的だ。

 セオドア・ルーズベルト大統領は日本での人気も高い。歴史的経緯を考えれば当然だろう。しかし後に右派勢力が非難する中国大陸の機会均等はこの時点で主張されていた。ハワイやフィリピンへの対応は知られている通りだ。日本国内の右派の論調はしばしば国内向けの論理のみになり首尾一貫しない。そうでない合理的な保守勢力が大人しいということもあり、外交上悪影響が出てくるのは今も変わらないように思う。
 そして大局的に見れば、日本の力の伸長、物理的に距離が近いという現実から、アジアにおいて日本が経済面で優越的な立場を取る事を米国は徐々に認めている事に注意せねばならない。これは石井=ランシング協定も含めて考えると理解しやすい。しかし軍事的な覇権に関しては容認しなかった。旧ソ連に関しても現実を認めるという点では似たような態度を取っており、今日の中国に対する外交もまた同じであることは興味深い。

 ポイントは、秩序を維持するのは大変な事だという自覚が、米国を含め世界の大半の国にはあることではないだろうか。それを変更するにはそれなりの正統性、手続きが必須だと。西欧は日本を表現するときに「秩序社会の伝統」という言い回しをする事がある。これはポイントを突いている。逆に日本が外へ出たときに秩序の無い世界を悪と判定し過ぎてしまう。実際はそれが普通、秩序を望むならそれを維持するのは覇者の責務と認識されることが多い。そして日本はその負担をしばしば不当なものと思ってしまうのだ。典型は戦前の大陸政策だが。
 世界の安全保障上の決定に日本が主体的な役割を果たすのはしばしば前向きな結果を出すとは思う。しかし、その種の負担が必須であると言う事は国民に説明せねばならない。勿論外交の専門家はこのような事情を良く分かっており、それ故行動を好まない。近年は欧州もまた日本の伝統的な立場に近付いているように思う。

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