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植民地の歴史に思う様々なこと

 米国が国内問題で忙殺されている度合が大きいせいか、外交の各方面が停滞気味になっているようだ。日本もこの時期に分担金の件で国連を牽制したのが効いたか、国連人権委員会が拉致問題の解決を北朝鮮に促している。この組織は国内の人権状況が怪しい国の発言力が強いと散々に揶揄される存在だが、ただあまり皮肉に考えるだけでなく、途上国の現実も考えるべきだろう。アフリカの一部地域のように生存権そのものが危機に晒されている国はもちろん、中進国に分類される経済水準の国でも国境紛争で人命が失われていることは多い。つまり、世界的に見れば日本の拉致被害という事件は先進国の贅沢としか見られない。もちろん国連の場では、加盟国の状況からしてその行動に多くを望めない。つまり、かなりの諸外国の支援を望みにくく、また人権問題の常として、その当事者たる国家の政府方針に密接に関連する。本質的に解決の困難な問題なのだ。
 しかしながら、日本の政府は有権者に負託を受けており、多くの民主主義国と同様、この問題を解決せねばならない。世界的に見れば贅沢だが、逆に世界の人権に対する考え方の水準を引き上げる効果も少しくらいはあるわけで、これは人権に対する考え方が近い国と共同して対処せねばならない。日本政府は、このように拉致問題の解決が本質的に難しいことをもっと率直に説明するべきだろう。

 ところで人権問題となれば、お約束のように出てくるのが今の先進国の植民地時代の話だ。今でも旧宗主国が批判されることは多い。この付近は洋の東西を問わないので日本に対する韓国の反応などはまだ理解できる範囲として鷹揚に構えていればいいと思う。もっともそんな対応したら先方はまた怒るのかもしれないが。いずれにせよ民主主義国のリベラル勢力の知的頽廃のせいもあり、未来志向的な政治論も少し減退気味だ。そのせいで過去に視線が向くのだろうか。誤解を恐れずに言えば、旧植民地の自己認識は旧宗主国の世論に大きく影響され、彼らが問題視する範囲で問題視しているとも言える。

 植民地支配の非となれば、個人的には19世紀後半の日欧米諸国のそれは近代化に寄与した点も多く、必ずしも完全否定されるべきではないと思う。しかしもう少し時代を遡った場合はどうだろうか。例えばスペインの中南米に対する対応はどうか。これは今日の基準からするとかなりネガティブに評価するしかないのではないか。もっとも時代が古いので人権に関する概念も19世紀とは違う。19世紀と現在との違いより大きいかもしれない。そしてイギリスもフランスもこの時代は無茶苦茶である。多分植民地支配の非を鳴らすとしたら、この地域が一番適合するだろう。とはいえ、真の主体となる人間も今や少ないのだが。

 見本の一つはギアナだろうか。帝国主義というのも愚かなくらいの物扱いだ。ガイアナが旧イギリス領ギアナ、スリナムが旧オランダ領ギアナで、フランス領ギアナだけが現在もフランス領のままだ。ちなみにギアナ三国という言い回しがある事は恥ずかしながら知らなかった。ただバルト三国と違って植民地時代のややこしい事情による遠慮があったのか、その表現を回避している向きもあったようにも思う。なお東に行くほど経済的にましだが、これはクレオールの人口比率が多いから、というとまた物議を醸しそうだ。この付近はインド系住民が多いという経緯もありややこしい。この地域は絶対人口が少ないこともあり余り注目されないかもしれない。ガイアナは人民寺院の集団自殺で有名になってしまったが現地の人間には迷惑な話だ。

 フランス領ギアナに関しては、元々が犯罪者の流刑地だった過去がある。そのため20世紀前半まではひどい状況だったようだ。この付近は英語版のWikipediaがその歴史も含め記しており割と良いと思う。ちなみにここからの脱走を試みたアンリ・シャリエールの自伝「パピヨン」は映画化されたこともあり有名だ。もっとも映画は脚色も多いようであるが。今はクールーにフランス国立宇宙センターのアリアンロケットの打ち上げ基地があり、人口20万に満たないこの海外県のGDP25%を占めているそうだ。欧州宇宙機関の主力射場で、赤道に近い絶好の位置だ。手放したくは無いだろうが、失業率も多いので独立することも無いだろう。それに限らず、現在旧植民地の独立が少なくなっているのはEU域内扱いになるという事情もあるようだ。

 結局歴史問題というのは生き残った人間の子孫が現在どういう立場にあり、どう考えるかという事に尽きる。歴史はただ一つしかなく、あり得たかも知れない他の選択肢との客観的な比較など出来ない。欧州の歴史を色濃く反映する南米地域はその見本だろうか。ただこの地域での反米感情の逃避先がしばしば欧州文化への傾倒であったりするのは皮肉としかいいようがないのだが。
 アフリカとなると、南米の黒人や混血者のみならず、米国でも黒人は他の民族系統に属する人々と違って、自らのルーツとなるアフリカへの無関心が際立つ。アフリカ地域が世界から孤立しているのは、留学生などの移民、その子孫が故国に冷淡なことと無縁ではない。公然と指摘するのは皆が避けているが。曲がりなりにもグローバル化の一環として国際社会で厳しい競争に参加している国より、それに取り残され、孤立した国のほうが問題は多いのである。

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世界の民主化は意味があるか

 ブッシュ政権に影響を与えたとされる、ナタン・シャランスキー氏著作の"The Case For Democracy"が邦訳されているので目を通してみた。邦題は「なぜ民主主義を世界に広げるのか」であるがこれはどうだろうか。ちなみに宮台氏の後書きもちょっとポイントを外している気がする。
 それはともかくこの本の内容である。読み終えた後の最初の感想としては、「これは世間で誤解を生みやすい書だな」である。実際そうなっている向きがあるのではないか。

 政治に限らず、人が他人や書物を評するときにはいくつかのパターンがある。大雑把に分類すると加点法か減点法というところだ。前者は瑕疵があっても本質的な部分で高い価値があれば高く評価するというやり方で、後者は細かい瑕疵などが無い完璧さをもって良しとするやり方だ。私的には知識人には後者が多いが、最優秀な人物と真面目で良心的な庶民には前者が多いという印象がある。アメリカは前者が多く、日本は後者が多いとも言えるだろうか。そしてこの書物は、恐らく加点法でしか評価し得ないものだ。結果、多くの知識人には懐疑の目で見られるのは致し方ない。しかし欧米保守派の最優秀な人々とかには評価されそうではあるし、世間的にも時間の経過に伴って意図が理解されるようになるのではないか。なお、政治などを語るときには、前者を基本とする基本的態度を崩さず、後者のアプローチは個別政策の議論に落とし込んだミクロな議論にとどめるべきという方法論を私は信じている。

 ライス国務長官が引用した「街の広場テスト」は比較的良く知られている。曰、人が集まる街の広場で自国の政府を批判し、それで自分の身に危険が及ぶかどうかだというのが基準だという。ちょっと聴くと大雑把で粗雑な議論だが、それがこの本の主張の要所だと考えると少し違う。いくつか書内から引用する。

「・・・自由世界と恐怖世界の間には、自由社会内部のさまざまなグループ間の相違よりはるかに大きな断絶があるという事実を我々が忘れてしまったら、我々は明確な道徳性を失ってしまう。我々の間にあってしかるべき相違、自由社会の中の灰色の濃さの違いが、誤って白と黒と認知されてしまう。そうなると、自由社会と恐怖社会を分かつ本当の白と黒との境界線、善と悪とを分かつ本当の境界線が識別できなくなるのである」(P.17)

「体制批判が禁じられているところでは、社会は必ず三つのグループに分かれる。一つのグループは、現行秩序に賛同し、それにコミットしている人々(真の信奉者)から成り、もう一つのグループは、処罰のリスクにもかかわらず現行秩序に公然と反逆することを辞さない人々(反体制者)で構成される。これら二つのグループのメンバーについては、自分の個人的な考えと公の場での発言の間にギャップはほとんどない。真の信奉者や反体制派とは異なり、第三のグループの人々は自分の考えていることを表に出さない。このグループは、現行イデオロギーをもう信じてはいないが、体制批判に伴うリスクをも恐れている人々から成る。それが『二重思考者』である。」(P.64)

 様々な政治体制の中で、この種の二重思考者を生み出す政治体制だけが駄目で、それを他と区別し、この政治体制に宥和してはならないというのが核心的な主張だ。日本に例えると北朝鮮に宥和するような事が駄目だといっている。この種の政治体制では世論や政治家の行動が信頼できず危険をもたらすので、自由主義社会が通常行う信頼を構築していく外交が機能しないと説く。そして外敵を使って国内の統治を維持するとか、また書の後半ではパレスチナを例に取り、恣意的な教育が行われている例を挙げている。これは中国などを見ても専制政治には一般に観測される現象といって良いだろうか。

 ここで指摘したほうがいい事は、戦争というものは必ずしも民衆の感情によって発生するというわけでもないことだ。むしろ論理や力学で方程式の解のごとく出てくるものだ。例外は民主主義の定着と産業の勃興期に、世論や未熟なジャーナリズムが過大な影響力を持った場合だろうが、この記憶が今日の先進国に強すぎるかもしれない。実際は中東やアフリカの地域紛争のほうが世界的に見れば典型例だろう。

 後半では、イスラエルを例に取り、パレスチナ自治政府の問題の多くを指摘する。この部分には色々瑕疵も多く、一方的立場からの書と批判される原因にもなっている。しかしながら、以前のエントリに示した異なる政治体制間の紛争が永続しているという意味で(ここでは第一グループと第三グループ)世界的に見ても例外的な立場ではあり、現状のイスラエルは誤解されている面が多いだろう。イスラエルを消し去った地図で教育を行っている相手が紛争の当事者であること、神殿の丘に首相が訪れただけでそれがテロの口実になるという事実は同情に値する。対応手法の洗練度はもっと追求するにしても、倫理的な非の度合いは思われているよりずっと少ないだろう。これは欧州の反ユダヤ主義の陰険な反映という側面もあり、日本あたりがより客観的な事実ベースの報道をすれば良いのだろうが。対中国や北朝鮮でも個別事情は違うのに構造自体は類似しているのは指摘されるべきである。もっとも対中のために中東を利用するのかという批判をする人は出てくるだろうが。

 シャランスキー氏は良くも悪くもサハロフ氏の直系という印象がある。氏を批判するのであれば、その方法論にするべきであろう。本質的に自由主義社会がより良質で、自由化を進めることの長期的意義は認めつつ、費用や人命リスクといったコストには限りがあり、短期的な対応は至難な場合が多いことなどだ。そして客観的な価値基準を一律に適用することが現実の政治では困難で、他者からは恣意的に見えてしまうことも解消せねばならない。ただ、氏の知性を考えるとその種の批判など百も承知なのだろう。つまり、自由世界はもっと多くのコストを負担してくれという単純な、しかし切実さのあるメッセージなのだろう。

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6ヶ国協議における米国務省の発言に関して

 このブログを見ている人なら多くの人が目を通しているとは思うが、かんべえさんの昨日の日記('05.9.20分)はなかなか興味深い内容が含まれているので参照されたい。私の受けた印象は少しばかり違うので、当たっているかどうかはともかく所感を述べてみたい。別に反論というわけでもないが。

 まず、米国のライス長官への質疑応答はこのようなものだ。米国の政治家、それも高官となれば無駄な言葉はそうそう使わない。この種の公式声明を読むと、少なくとも後で見て嘘は言ってないしポイントは突いているということは多い。ましてライス氏となれば。全体の半ばほどのこの部分はかなり気になる。

QUESTION: Madame Secretary, you didn't want to discuss it up until now. I mean, does "discuss" mean --

SECRETARY RICE:
When the North Koreans have dismantled their nuclear weapons and other nuclear programs verifiably and are indeed nuclear-free, when they are back in the NPT, when they have gotten into IAEA safeguards, I suppose we can discuss anything.

QUESTION: (Inaudible.)

SECRETARY RICE: I suppose we can discuss anything. But I would just have you take note of the fact that the North Koreans asserted their right to peaceful nuclear uses. All that is done here is that we've taken note of that assertion and then a number of the states have made very clear what the sequence is here. The sequence is dismantling, NPT, IAEA safeguards, and then we can discuss. Because I don't think there's anyone who is prepared to try to go back to a circumstance under which we're debating sequences.

 NPT体制に戻るのがポイントと考えているらしい。これから先は私の想像になるが、これは中国に対する配慮ではないかと思う。中国の立場に立てば、外交上譲歩する相手としては日米は国内事情を考えるともっともやり辛い。つまり、譲歩するにしても、日米相手ではなくNPT体制を相手にしたいからではないか。例えばEU諸国などの意見が入る。今回ロシアも今日の北朝鮮のゴネに釘を刺しているのもそのサポートではないか。

 ヒル氏の公式声明は後半の具体例が重要だろう。

The United States desires to completely normalize relations with the DPRK, but as a necessary part of discussions, we look forward to sitting down with the DPRK to address other important issues. These outstanding issues include human rights abuses, biological and chemical weapons programs, ballistic missile programs and proliferation, terrorism, and illicit activities.

The Joint Statement accurately notes the willingness of the United States to respect the DPRK’s sovereignty and to exist with the DPRK peacefully together. Of course, in that context the United States continues to have serious concerns about the treatment of people and behavior in areas such as human rights in the DPRK. The U.S. acceptance of the Joint Statement should in no way be interpreted as meaning we accept all aspects of the DPRK’s system, human rights situation or treatment of its people. We intend to sit down and make sure that our concerns in these areas are addressed.

The Joint Statement sets out a visionary view of the end-point of the process of the denuclearization of the Korean Peninsula. It is a very important first step to get us to the critical and urgent next phase - implementation of DPRK commitments outlined above and the measures the United States and other parties would provide in return, including security assurances, economic and energy cooperation, and taking steps toward normalized relations.

 ここで日本の立場を思い出して欲しい。拉致問題の陰に隠れがちだが、日本はミサイルと化学兵器の問題を含めた包括的解決を一貫して主張し続けており、むしろ米国のほうが妥協しがちだったかもしれない。その単語が含まれていると言う事は、日本は少なくとも米国に対しては名を捨てて実を取ったとは言えないか。そして人権問題もきちんとコメントしている。やはり拉致問題は、韓国の拉致被害者や北朝鮮の国内統治も含む、広範で包括的な人権問題の一環として取り扱うべきなのだろう。

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ドイツ総選挙の結果に思う

 インターネットの普及に伴い、通常の先進国の選挙は一勢力の一方的な勝利を嫌う有権者の行動により接戦になるという説がある。そして逆に僅かでも明確な差がはっきり見えている場合はそれが増幅されるという説もある。
 果たしてそれが正しいかどうかは分からないが、日独の選挙は余りにも対照的な結果となった。ドイツの政治はいささかの漂流を余儀なくされるかもしれない。 ドイツに関しては良いブログがあり、有名なので私が今さら紹介するまでもないがリンクさせていただく。知的でかつドイツに関する温かい視線に満ちた良心的なブログと感じた。

 さて、様々な指摘が既に多方面からなされており、私が記すまでも無いが、所感も含めて日独の選挙に思ったことを述べてみたい。

・安全保障環境の違い
 言うまでも無く、日本は北朝鮮や中国の問題を抱えている。日本の野党の民主党の主張は稚拙すぎた。加えて経済的にも、日本では対中競合感が強いが、欧州に関してはチャンスでもあり(繊維摩擦とかはあるが)結果的に選挙の争点になっていない。日本では水面下ではなっていると言えるだろう。

・福祉や所得再配分による受益者の問題
 日本は思われている以上に実態は小さな政府といえる。少なくとも欧州諸国と比較すればそうだろう。しかしドイツは移民や失業者がかなりの既得権益と化している。そして受益者の絶対数が多い。日本はとなると、これは所属セクタの違いというよりむしろ世代間の問題だ。若年世代の賃金と雇用を犠牲にする形で50代の所得を維持している。従って少なくとも若年世代に新保守主義の支持が多いのは当然なのだが、奇妙なことに現在受益者のはずの50代・年金世代にその自覚が薄く、むしろ被害者のように自己認識している。この結果改革期待は擬似的なバブル状態になっている。

・地域共同体の問題
 EUによる経済統合効果のメリットが、中枢の先進国で薄れ、相対的な途上地域に集中し始めている。フォルクスワーゲンなどの各地域への工場移転などを思うと分かりやすい。新保守主義的な改革による痛みを伴う努力は、その成果がドイツではなく周辺諸国に拡散してしまうという認識があるだろう。少なくとも日本は、努力の結果が日本人自身に戻ると考えている。これは日本が様々なレベルの製造業を高レベルで維持しようと考える傾向が大きいのと比較して、既に欧州では分業が進んでいるという事情もある。(その観点で言うと、努力するなら全ての国という事で、中長期的には政治統合が合理的な方向というコンセンサスが確立する可能性がある。もちろん、現在の受益国がそう認識してからの話だ)

 全般として思うのは、良くも悪くも日本は単独の国民国家として行動し他者と相対しているのと比較して、ドイツは境界が曖昧になってしまったが故に漂流してしまったのではないかという事だ。危機に立ち向かうには結束が必要である。しかしドイツは、結束するのは、あるいはしてくれるのは、どの範囲かということにすら疑念を感じているのかもしれない。だがこれでドイツの将来が暗いというわけではないだろう。人間は追い込まれない限り覚悟を決めないし、ギリギリまで逃げようとするものだ。近年の日本もそうだったように。ドイツが覚悟を決めるのにはまだ数回の選挙が必要なのだろう。願わくば、日本が恐らくギリギリで回避したと思われる排外主義の罠に、ドイツが陥らないようにと祈るばかりだ。

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自民党・民主党の現在

 ・・・というタイトルにしたが、小泉首相を含む政界の人々について、日頃考えていることの雑記のようなものである。個人的な所感の寄せ集めのようなものだ。

 まず民主党の代表だが、一応立候補者が2名で代表選をする事になったのは歓迎したい。負ける人が分かりやすく負けるのが大事なのである。そしてどっちが負けてもしつこく再チャレンジするのを批判するべきでないと思う。そういう粘っこさも、最終的に政権を取って内閣総理大臣になる事を目指すのならば必要な資質の一つだからだ。この両名は個人の資質だけに絞れば民主党では一応最良のクラスなので特に文句も無い。個人的には別に推したい人もいるが、小選挙区で負けてたりするし・・・・

 自民党となると、今は明白に見えてはいないが、親欧米の合理的な新保守主義者が多く、やや国粋主義的とも言える古い保守勢力が減っているような印象がある。これは自民党をますます怜悧な強力さを持つ政党にするかもしれず、次の衆院選でも議席の減り方は少ないかもしれない。また減る事が分かっている以上、個々の議員も努力するだろう。民主党は相当覚悟を決めないと駄目だと思う。

 小泉首相個人だが、私は世間で思われているほどの伝統的な保守主義者ではないと思う。むしろ無政府主義的な色合いも少し持っている、自由主義者でかつ人権重視の、欧州で言う中道右派、考え方によっては中道左派かもしれないと感じている。貧富の差の容認傾向はあるが、ただ人権面には意外に敏感で、機会の権利や社会的正義については割と確固とした信念を持っているように思える。企業が従業員その他に対する対応で不法なものに関しては小泉政権になってやたら厳しくなった。公正取引委員会、労働基準監督所など軒並み活動が活発化している。
 その意味で、小泉首相の政治家としてのスタンスは、絶対的な距離としては安部氏や鳩山由紀夫氏、小沢氏あたりとは意外に遠く、菅氏あたりとは印象とは違って実は近いかもしれないと感じる。町村外相とは、少なくとも外交面での親和度は割と高いと思う。
 この人権重視の合理主義スタンスが分かりやすいのは外交面だが、これで一つだけ違和感があるのが靖国参拝である。他のありとあらゆる政治行動に関しては、日本で無く欧米の伝統で考えるとほぼ首尾一貫している。ただこれだけが違和感があって、天然ではなくかなり意識的に為されている印象が強い。
 最近、A級戦犯に関しての発言が、保守派の言論人から叩かれている。報道ではテレビ朝日での出演で次のように発言したと伝えられている。

田原総一朗 「この靖国の趣旨はどうですか?」

小泉首相
「私はそうは考えてません。私はあの戦争は避けなければならなかった戦争だと、」

田原総一朗
「良くない戦争ね。絶対しちゃいけなかった。」

小泉首相
「そうです。」 「いけなかった戦争です。その戦争で戦場に出ざるを得なかった方々たち、 本当に無念だったと思います。そういう方たちの気持ちをね、片時も忘れたことはありません。あのような戦争は絶対さしちゃいかん。」

田原総一朗
「そういうことは、A級戦犯は、A戦犯である。」

小泉首相
「これはもう戦犯として裁判を受けましたし、私は参拝しているのは、そういう特定の人じゃありません。こころならずも亡くなった方々に対して参拝している。」

 この一連の発言は、思想的には首尾一貫していて、使われている語句が非常に正確であると感じられる。むしろこちらの方が本来の小泉首相の考えに近いだろう。これは先に挙げた小泉首相が近いと思われる欧州の政治家の考え方とほぼ整合性があると思う。私の考えだが、こうではないかというのを少し補足したい。

 「避けなければならなかった戦争」というのは、当時の文明国の安全保障に対する理念として一応の基準とされていたケロッグ=ブリアン条約を前提としたものと思う。要は先制攻撃反対という事だ。イラク戦争ではそうではなかったが、フランスの説得も当時重視しており働きかけは手厚かった。小泉首相はこの種の法理的な側面を重視する傾向があり、無法かつ道義的ではないと考えたのではないか。そして「戦場に出ざるを得なかった人たち」というのも自由主義的史観からの批判ではないか。これは当時の米国における日系人収容の問題を考えると分かりやすいと思う。当時の米国は国家に対する忠誠を重んじていたが、20世紀初頭段階の一世とされる日系人は日本への忠誠を捨てていなかった。(これはパリ講和会議での日本の人種差別撤廃問題との関連があるが、ここでは論じない)しかし第二次世界大戦時点では割れており、日本に帰国する人もいれば米国に忠誠を誓う人もいた。それを日系人というだけで一律に(まさに米国が敵対していたファシズム国家のように個人の多様性を認めず)差別したという事に関する反省というのが構図だろう。だから小泉首相も、戦争に反対した数少ない言論人の封殺とか、多様性を認めなかった部分に関する批判としてA級戦犯の責任を問うていると解釈できるのではないか。最後の「戦犯として裁判を受けた」というのも、政治的決着として彼らを戦犯とするやり方が歴史で選択されて今日に繋がっている、というニュアンスだろう。

 だから、小泉首相としては靖国参拝自体へのこだわりは案外無いのではないか。恐らくいくつかの政治的目的を達するための手段だろう。例えば中国との係争点を、キナ臭くなりかねない国境紛争などから実害の無い部分にずらすとか、また国内的にも、民族主義的保守派の人々を実害の少ない形である程度満足させ、ガス抜きするとか、そんな所ではないか。

 これは日本の政治状況を考えると、様々な意味である種の現実解かもしれない。後継の首相が誰になるかは分からないが、ここまでマジョリティの支持を満遍なく確保できるかどうかは疑問だ。ただやらせてみないと分からないというのも、首相職の一つの側面ではある。

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愛・地球博に行ってきた(3)

 最初の見物はともかく、2回目で出来の良いパビリオンは割と見たのでいいのだが、そろそろ会期も終わりと思うとちと名残惜しくなってくる。なまじ平日に休みが取れてしまったから、昨日また出かけてしまった。選挙も終わったことだし。もちろん私には関係ないが。
 ・・・・・薄々嫌な予感はしていたが、猛烈な混雑。入場するのにすら30分近くかかる始末。後で確認すると20万の人出だったそうな。不安を抱きつつグローバルコモン3あたりから。

ドイツ館:
 余りに並んでいる人が多いので行列禁止状態。後で様子を見に来てくれという話である。何故ここまで多いのか。唯一のRIDE系だからか。(オーストリア館のソリも乗り物と言えなくも無いが)

フランス館:
 というわけで、隣のフランス館に。後で長い行列になったらしいから、ここに取り付いて正解だった。割と出来はいい。展示は光の演出が巧妙で多くの外国館の中でも最も美麗なほう。妙に大国ぶろうとしている向きもあるがロシア館よりは洗練されているのがミソか。全周シアターがあるのだが、外国館の中では屈指に金がかかっていると思う。映像の内容はというと、環境をテーマとしたイメージビデオなのだが、リベラシオン系とでもいうような思想傾向。時々浮かび上がる日本語メッセージも演出的でそういう印象を強める。中にはイラク戦争批判かこれというような部分もあるが偏見かも。気にしなければそこそこ感心する。

スペイン館:
 入り口で紙袋とパンフ、小さい色鉛筆詰め合わせをくれた。そんなパビリオンもあるのかとちょっと意外に。エキスポサラゴザ2008というのが予定されているらしい。パビリオンの真ん中では映像が継続的に流されているが、その周辺部分でのコーナーがなかなか細かい出来。図書館を模した部屋で覗き穴で映像が見えるのはイギリス館出口のパターンだが目を引いた。全般として手堅い出来。

チュニジア館:
 中東諸国のパビリオンと似た感じ。ただ物産展的側面はやや少なめで、砂漠の国のイメージを前面に押し出していた。本国の情勢を考えると頑張っているほうか?皿作りの実演があるのは後で気が付いた。見逃したのは少し残念。

ボスニア・ヘルツェゴビナ館:
 本国は大丈夫かと思いつつ入館。まぁ、恐らく全外国館の中で、単独館としては一番手がかかっていない。展示写真と映像を流しているだけ。しかしまぁ、出展しただけでも偉いか。スタンプ提供とかでポイントを稼いでいた模様。お願いして館長?の写真を撮らせてもらった。

ウクライナ館:
 ポーランド館に行くついでに美人を確認食事しようと足を向ける。が、無茶苦茶混雑していて断念。ちなみに直前のルーマニア館でも断念。

ポーランド館:
 15分待ちの表示だったが、実際は30分以上待たされた。シアターは環境映像だがBGMのショパンはなかなか良く名曲アルバム豪華版の印象で出来がいい。その後の岩塩坑は暗いが良く作ってあると感じた。水晶のような美しさで一見の価値あり。

オーストラリア館:
 うろうろしているうちに到着。この頃既に午後二時過ぎで遅くなったが昼食。腹が減ったのでワニとカンガルー、バーガーを2つも注文。ワニはあっさりで鶏肉か何かのよう。確か前に中南米のどこかの館でもテイクアウトした気がするがそれよりは美味しいか。カンガルーは普通によりうまい。ビーフに近い感触で安心して人にも薦められる。パビリオンは余りに混んでいたので後回し、しかし結果的には見る暇が無かった。ちょっと心残り。

南アフリカ館:
 自然を強調するような展示。近代的ではあるが妙に印象が薄い。手堅いが普通といえば普通。

アフリカ共同館:
 平たく言うと巨大物産展。ただ、意外に個別パビリオンに近いようなきっちり区切られた空間もある。ややお金のある国はそうしているという印象。実にいろいろな国が出ており、中にはこの前も自国民を虐殺政治的に国内統治が大変そうな国もある。ちなみにスーダンも出ているが物産展以外の展示内容は自然と歴史の説明に絞っているのは好判断としか言いようが無い。もっともそういう展示方針の国は多いが。ちなみにケニア・タンザニアが隣接する一角などは良く作ってあると感心した。ルワンダも頑張っており贔屓したくなる。

日本庭園:
 写真を多数撮影。綺麗。ゆっくり出来る。ただこういう場所は日本には山のようにあるとも感じた。地元民で無制限パスポートで入場できる人には良いか。もっとも混んでいる時には少し遠慮して欲しいと思わなくも無いが。

サツキとメイの家:
 アニメを見ているわけでもないので思い入れは無いが、話題になっているらしいので外周だけでも見て回る。ただ、会場の中心地からはひたすら遠い。疲れた。

ドイツ館:
 再び確認に行く。並べるが220分待ちの表示。帰れなくなるのでさすがに断念。

ギリシャ館:
 ここ、あまり並ばない割に内容としてはそれなりにいい。ただ普通の観光案内だといえばその通りかもしれない。

ロボットステーション:
 わんパク宝島と同じ建物で、雑然と混在しているのはやや残念。しかしなかなか意欲的なロボットが多数展示されており、比較的近未来に実用化できそうなのが多い。場所的に離れているが近くに来たときには確認するのもいいかもしれない。

三菱未来館:
 「もしも月が無かったら」というテーマでのシアター。子供向けの科学啓蒙の感強し。音とかの迫力は凄いが、小さい子供には大音響すぎて刺激が強いかもしれない。地球と月がいきなり擬人化モードになるのは笑ったが内容は真面目なもの。

 というわけで、混んでいるせいもありいくつか目当てのものが見れなかったのは残念。オーストラリアもそうだが、イタリアも見てないのでちょっと惜しい。まぁ観光で行った事あるからいいか。ドイツはあれだけ並んでいるからには非常に面白いに違いないと未練が。間違いなく勘違いだとは思うが。グローバルコモン1のアジア諸国は、入り口近くだけ行った感じ。韓国や中国は優先順位を落としていたら自然と行かずに終わった。こっちはあまり惜しくも無い(苦笑)
 全般として思うのは、世間評価というのは国によって期待値があってそれと比較してどうこう言われているのだなという印象。やはり経済大国は全般としてレベルの高い館を作っていると思う。まぁ、この手の万博が国内で次にあるのは相当未来のことだろうし、なかなか良い思い出にはなった。空いている4月に行っておけば良かったか。

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衆院選雑感

 まだ全議席が確定したわけではないが、大体の情勢として与党圧勝は間違いないようだ。個人的には自公で280~290と考え、それでもちょっと高めの予想に過ぎるかと思っていた。結果はそれ以上と圧倒的だ。結局読みの至難な都市部小選挙区が雪崩現象となったようだ。ちょっと思いつくまま感想を書いて見たい。

 この結果は、世論調査で動向を調査し辛い都市部のサラリーマンなどが自民に流れたと判断するしかないが、その解釈としては自民の勝利というより民主の惨敗と評するべきだろう。郵政民営化そのものに関しては、現在の小泉路線がどうかという事に異論は発生するだろう。しかしながら、小泉首相が争点を郵政一本に絞ったとしても、有権者の立場としては全体としてどの政党が信頼できるかという判断の手がかりでしかない。個別政策を詳しく知ろうとしない一般の有権者としてはそうなる。これはむしろEU憲法の仏国民投票に政治現象としては近いかもしれない。もっとも今回の有権者の行動は牽制という意味合いではない。参院選や地方選挙ならともかく、与党をどれにするかというのを選ぶ衆院選では反対のための投票は多数派とならない。自立性がある政治勢力として信頼感が必要だ。内政・外交両面で民主党は信頼されなかったと言えるだろう。

 今回厳しい結果に終わった民主党だが、個々の議員は真剣に考えている人もいるだろう。前原氏末松氏長島氏あたりが右派の代表格と思うが、そのような人々がどのような動きを見せるか注目したい。前原氏はややアジア主義的な側面もあるようだがリアリストではある。ただ小選挙区で勝利した前原氏はともかく、比例で復活当選という形になった末松氏や長島氏は自民党に移るというわけにもいかないので、少なくともしばらくは民主党の立て直しに注力せざるを得ない。それにまともな野党が存在しないと、やはり長期的には政治の現実として良くないので、個々人の立場としては色々思うところがあっても頑張ってもらうしかないだろう。

 自分としては、民主党には以下のような政策を推進して欲しい。ただこれは実現不可能なものも含むかもしれない。政界での民主党の立ち位置がどこになるかという問題と密接に関わるからだ。

・安全保障問題での現実的な対案策定
 実際のところ日本の取り得る立場としてはそれほどバリエーションはない。米国との同盟は必須、仮想敵国が中国というのも大声では言えないが事実関係としてあるので対処するしかない。つまり方法論がどうかという事になる。軽武装&米国との二国間で処理、が自民党とすれば、それに対抗するならもう少し重武装&米国含む他の民主主義国を合わせた結束、くらいしかない。

・農業問題への立て直し
 小泉路線としてある程度始まっているように思うが、不充分なうちに推進を謳う。株式会社参入、大規模農家形成促進など。少なくとも短期的には自給率低下も甘受する。そもそも日本はそれほど農業に向かない国ではない。重要なのは降水量や日照時間なので。

・少子高齢化対策強化
 一部米国と大差ないものになるかもしれない。例えば若年世代のシングルマザーへの援助強化などは国内的に抵抗が強いかもしれない。ただそこまでやらないと回復はしないだろう。ちなみに私は、少子化に関してはそれもそれなりの社会という見方は取らない。悲惨な事になると思う。自民党の認識はかなり甘い感がある。

・英語教育の徹底強化
 身もフタも無くいうと、国民の頭のいい方から数えて2割をまともにするだけでいいと思う。それだけで日本の持つ弱点が、内政・外交のあらゆる面に渡って改善される。経済停滞も脱することが可能だろう。ただ国内の抵抗は強くメリットが出るのに時間のかかる話なので当初は苦労するだろう。

 内政面でのポイントは、自民党の政策の中で民族主義的な側面が足を引っ張る部分に対して科学的・合理的な主張をすることだろう。それならまともな保守派政党で定期的な政権交代という展望もあるかもしれない。国民にしても、選挙のたびに気分次第で色々投票したいだろう。極端な主張の無い複数の政党が欲しいところだ。

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雑記いろいろ('05.9.10)

 ちょっと最近忙しくてバテ。ニュースを見ていると色々なことが待ち状態になっている印象。日本国内だと選挙、米国のハリケーンでの政治的空白など。今月末あたりからの反動が激しそう。

・衆院選
 問題は選挙の後だと思う。民主党がどうなるか。終わった後に左派は相変わらず能天気で右派の焦燥感は深刻となればまるで昨年の米大統領選と同じ。右派は外国人排斥などの極右勢力が強くなければそこそこまとまりがあり、左派は大きいというのは世界的傾向ではあるが。

・カトリーナ被害
 日本のマスコミに文句を言っても仕方ないとは言え、州政府などへの批判がより強いことをもう少し報道してはどうか。

・イラン核開発
 安保理付託は不可避の模様。日本での報道は薄いが、英仏独はかなりの努力をした。この後の国際世論の取りまとめはそれほど苦労しないと思う。

・「論座」10月号
 今回掲載分のForeign Affairs和訳は、近年に無く質が低いと思う。中国側のアナウンス用の感も強い。それは分かりやすいとしても、Gause氏のアラブ民主化路線へのコメントは問題だと思う。民主主義国でもテロは起きるというが、それが法の裁きを受ける社会とそうでない社会の区別こそが重要なのだが。唯一Star氏の中央アジアに対する提言がまともなくらいか。

・6ヶ国協議
 課題山積の米国が少し融和的になる傾向あり。選挙後の日本がどこまで頑張れるか。そろそろ経済制裁のタイミングかもしれない。

・ドイツ総選挙
 プーチンはさりげなくメルケル党首とも会談。相変わらず抜け目無い。

・原油価格
 米国では最終の石油製品価格が重要なだけに難しい問題。国内の精製施設が近年弱体なのは元より指摘されていた上にハリケーンで被害という有様。少し戻して高値圏でしばらく安定か。日本としては高価格安定が数年続いたほうが各種省エネ/代替技術開発が採算ラインに乗ってくるので助かるのだが。

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ポーツマス条約に思う日本外交の特質

 日露戦争終結の舞台となったポーツマス。そこの海軍工廠の閉鎖問題がしばらく議論されていたが、結局閉鎖を免れたようだ。しかし日露戦争というと歴史の彼方という印象があるが、わずか100年である。その後の第一次世界大戦、シベリア出兵、第二次世界大戦とさして息つく暇もない激動で人々の印象が薄れるのも早かったろう。20世紀後半の日本は随分のんびりしたものだったと痛感する。

 この戦争は米国の仲介によるポーツマス条約で終了した。この戦争は日本人にとっては名誉あるものと記憶された。人々の意識として考えれば、欧州で言うなら少し前の時代、ナポレオンとかせいぜい普仏戦争に相当しよう。苦難の末の勝利、悲劇と共に栄光もまたそこにあるという、「古き佳き時代」の戦争だった。しかし第一次世界大戦までの年月の短さを考えれば、消耗戦による限界を超えた悲劇は既に予見されていた。つまり今日客観的にこの戦争を見れば「大国同士の戦争としては驚くほど被害が少ない」と評されるべきだろう。しかし当時の日本人はそう考えなかった。補足すれば、実のところ自国の兵士の死傷に対する許容度は、欧米と比べて一貫して日本は少ない。恐らく1000年来変わってないのではないか。もっともそれを今日責めるのは無理だろう。日本だけではない。欧州もクリミア戦争での教訓は生かせなかった。どっちも自国の中核部から遠い辺境の戦争として国民に実感は薄かった。この偶然は今にして思えば悲劇的だ。

 セオドア・ルーズベルト大統領は日本での人気も高い。歴史的経緯を考えれば当然だろう。しかし後に右派勢力が非難する中国大陸の機会均等はこの時点で主張されていた。ハワイやフィリピンへの対応は知られている通りだ。日本国内の右派の論調はしばしば国内向けの論理のみになり首尾一貫しない。そうでない合理的な保守勢力が大人しいということもあり、外交上悪影響が出てくるのは今も変わらないように思う。
 そして大局的に見れば、日本の力の伸長、物理的に距離が近いという現実から、アジアにおいて日本が経済面で優越的な立場を取る事を米国は徐々に認めている事に注意せねばならない。これは石井=ランシング協定も含めて考えると理解しやすい。しかし軍事的な覇権に関しては容認しなかった。旧ソ連に関しても現実を認めるという点では似たような態度を取っており、今日の中国に対する外交もまた同じであることは興味深い。

 ポイントは、秩序を維持するのは大変な事だという自覚が、米国を含め世界の大半の国にはあることではないだろうか。それを変更するにはそれなりの正統性、手続きが必須だと。西欧は日本を表現するときに「秩序社会の伝統」という言い回しをする事がある。これはポイントを突いている。逆に日本が外へ出たときに秩序の無い世界を悪と判定し過ぎてしまう。実際はそれが普通、秩序を望むならそれを維持するのは覇者の責務と認識されることが多い。そして日本はその負担をしばしば不当なものと思ってしまうのだ。典型は戦前の大陸政策だが。
 世界の安全保障上の決定に日本が主体的な役割を果たすのはしばしば前向きな結果を出すとは思う。しかし、その種の負担が必須であると言う事は国民に説明せねばならない。勿論外交の専門家はこのような事情を良く分かっており、それ故行動を好まない。近年は欧州もまた日本の伝統的な立場に近付いているように思う。

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中国の周辺としてのベトナムの歴史

 中国と日本の関係がギクシャクしているので、アジア各国は困っているようだ。安保理常任理事国問題その他での各国の動きはかなりややこしい。世界にある大半の国は我々が思っている以上に受動的な外交をしているというのを認識しておいてもいいかもしれない。
 一方でこれをチャンスとばかりに日本企業の進出を期待している国もあり、ベトナムはその代表格といったところか。日本人の活動も最近活発なようだ。この付近のサイトはなかなか楽しいので紹介しておく。また年内のWTO加盟を目指して外交的な働きかけも活発なようだ。ちなみに日本はこれを支持し、他国に対しての働きかけもしている。小泉首相とカイ首相は親しいというような話も伝えられており、案外小泉首相の個人的なリーダーシップかもしれない。

 ベトナムは中国の周辺にあるということで、古来より随分苦労してきたようだ。後漢の伏波将軍馬援は中国人にとっては英雄かもしれないが、ベトナムにとっては民族的英雄のチュン姉妹の敵でしかない。さしずめベトナムのジャンヌダルクといったところか。今に至っても国民の人気は高いようだ。
 ベトナムと朝鮮半島の比較は面白い試みかもしれない。朝鮮半島は、地域主義が強い面はあっても比較的早期に民族的な一体感を得ていたようだ。新羅成立が大きかったかもしれない。それと比較すると、ベトナムといっても北ベトナムに限定して考えたほうがいいだろう。そして大勢力の周辺でローカルな中心を自称して小中華主義となるのは案外よくあるパターンで朝鮮半島に限らない。キン族もその傾向があったようだ。中国に次ぎ地域では文明的な存在であると。少なくとも近世までは一定の相似性があったのではないか。そしてその後の展開は誰もが知っている通りだ。恐らくベトナムのほうが、より厳しい現実に揉まれた結果、観念論に逃げなかったということではないだろうか。一国の歴史をそう簡単に語っていいものではないが。

 個人的には南のチャンパ王国の歴史を直接継承する国家が継続するとどうだったかと夢想する。(ちなみになぜかWikipediaの項目が妙に詳しい。同じように考える人がいるのだろうか)この付近は日本人には馴染みが薄いが、沖縄や台湾との関係という点でももう少し見直されるべきだろう。日本が江戸時代に鎖国しなければこの国の運命は変わっていただろうか。日本は北部のキン族よりこちらに肩入れしたか、それとも逆か。明の海禁政策の時期なら影響力はなおさら強いだろう。そして日本でもイスラム教がそれなりに信仰されただろうか。フランスの植民地支配の経緯はどのように?歴史のifを語るのは禁物とはいえ、興味は尽きない。

 現在のベトナムは、ドイモイ政策を受け継いで改革を進めているが、米国あたりから見ると依然として人権には問題ありとされている。例えば上院での報告などがこのようにあるが、恐らくこの見解は正しい。(専制政治の例に漏れず、米国がこの種の問題にうるさいことを軽視した結果か)そして国内的には、やはり中国同様官僚の腐敗が深刻なようだ。南北朝鮮とベトナムの現状は、政治においては国民性云々よりシステムの問題が決定的だというのを象徴しているようにも思える。遠い国に幻想を抱き、親しくなると失望するのは日本人に限らない。しかし、プロとして国民を代表し政治に携わる者が専制政治の国に過剰な期待をするのは、80~90年代の対中外交の誤りと同質なものとは言えまいか。ベトナムは長期で見れば明治期の日本のように徐々に国民国家としての民主的様相を強めていくかもしれない。しかし、まだまだ時間のかかる話ではないだろうか。

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近代トルコのケマル主義の成功とは

 ハリケーンによるニューオーリンズの被害、バグダッドでの橋からの転落など、多くの犠牲者が出る悲劇が報じられている。心から哀悼の意を表したいと思う。
 もちろん大変な悲劇であるので当然ではあるが、そのため欧米でも国際ニュースの関心はどうしてもそちらに向いてしまう。しかし奇しくも北オセチアでの占拠事件から1年であり、チベット占領から40年でもある。いずれも関心が一時的にそれているのは皮肉な現象のようにも思える。いくつか政治的なリアクションが進展する可能性があるトピックだと思うのだが。

 そういう昨今の情勢とは無関係に、ふとトルコの事を考えた。最近ではEU加盟問題が話題になっており、予定では10/3にEUでの加盟交渉開始となる。しかし欧州では反イスラムの風潮は強くなっており、今回もキプロス承認問題を理由にEU外相理事会では慎重意見多数となった。おまけにドイツではより保守派の政権が誕生しそうな雲行きである。トルコとしては至難な道のりだろう。しかしEUに加盟することがトルコにとって本当に幸福な道なのだろうか。この興味深い歴史を持ち、文化の狭間に存在する国は常に悩んでいるようにも見える。

 先史時代ならともかく、歴史時代、それも近代になればなるほど、指導者の資質が歴史に及ぼす影響は深い。しかし20世紀はどちらかというと負の側面のそれが目立ったかもしれない。個人で世界歴史に及ぼした影響が大である人物となると、ヒトラーであったりスターリンであったりする。では正の影響を持つ人物として挙げるとどうだろうか。存外挙げにくいが、ケマル・アタチュルクはどうだろうか。世界的に見ても、20世紀で5本の指に入れてもいいのではないかと私は思う。
 手軽なところではWikipediaの項目もまずまずではあるし、そもそも参考書となる書籍の類に困ることも無いだろう。私がこの人物に関して最も優れていると感じる点は、多民族の広域帝国を否定したことだ。過去に栄光の時代を持つ古い歴史の国はどうしてもその残照が邪魔をする。ギリシャですら国際社会に過大な要求をすることしきりだ。オスマン・トルコの栄光は世界に冠たるものであったし、普通の国ならそれから簡単に脱する事は出来ないだろう。

 これは20世紀以降の歴史の本質なのであろうが、この多民族を統治する広域帝国はほぼ全てが失敗している。オスマン・トルコもそうだし、オーストリア=ハンガリー帝国もそうだ。時代が少し下がったソ連もそう見れなくも無い。大日本帝国も、太平洋戦争でうまく講和して存続などしていたら末路は悲惨だろう。このあたりに共通するのは、テロ頻発などでとにかく治安維持などの社会インフラ維持のコストがかかり、経済効率が悪く、赤字続きで中心となる本国が疲弊することだ。フランスもなまじ地理的に近く、他の植民地と別扱いのアルジェリアに未練を残して大失敗した。やや関連したエントリを書いたこともあるので場合によっては参照して欲しい。日本の戦前の満州・朝鮮もどのような歴史過程を経てもアルジェリアのパターンだったろう。成功するのは完全に国民国家として統合したときだけだ。日本を例に取れば、台湾でやや成功の可能性が高かったくらいか。それと人口が少ない南洋諸島の一部程度といったところか。恐らく、この付近のルールを最初に察知したのは米国と次に英国だろう。米国の場合は対中南米で問題続きの割に深手を負わなかった。引きどころがうまいのだろう。ただこれは国によってタイミングというか、運もある。植民地からの移民に対する嫌悪感が増大していた社会情勢がその方針を補強した。

 そのような情勢を思うと、ケマルはあの時代としては、まさに先覚者ではないだろうか。議会政治と法の統治、政教分離など、近代国家の基礎となるコア部分をキリスト教文化と混同せずに導入した。日本の歴史を参考にしたとも聞くが、しかし島国の日本のように地理環境の隔絶がないのに、そして重要な通商路となる海峡を擁しているのに妙な色気を示さず選び取った道だった。そして専制的な政治を行いながらも議会政治を育てた。当時のトルコ社会の伝統を思えばどれ一つでもそこそこ出来ただけで歴史に名が残る。これだけ多くのことが出来たのは、やはり対外戦争の英雄だからだろう。思うに、19~20世紀前半で欧州諸国と戦争をしてそれなりに健闘可能だった国はここくらいしかなかったのではないか。ケマルは愛国者であるという国民の信頼を得ることが出来た。戦争が強くないと駄目だというのはある側面の真実なのだろうか。

 そして事実として、トルコは戦後NATOにも加盟し、民主主義の世俗国家として他の中東諸国とは隔絶した道を選んだ。もちろん国民は近隣のイスラム諸国よりよほどましな生活をしている。先のイラク戦争でトルコ議会は米陸軍の国内通過を認めなかったが、米国は同盟国の裏切りに怒りつつもそれを容認したのは、トルコの議会政治の伝統に対する敬意が存在していたからではないだろうか。議会の扱いに苦労する国内政治があればこその対応だろう。

 他の中東諸国はケマルのような人物に恵まれなかった。イランは場合によっては近代化の可能性があったかもしれないが、歴史の女神は微笑まず、不幸な展開を示したといってはいけないだろうか。

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