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雑記いろいろ('05.8.29)

 今日は軽くメモ書き程度。後日の備忘録のようなもの。

・中国の繊維製品貿易摩擦
 存外消費者の利益という観点からの動きが強いようだ。やはり日本的な感覚でいると解釈を誤るのだろうか。今後の展開はともかく、少し反省。

・6ヶ国協議
 今のところ再開の見通しは無いようだが、これはもちろん日本の選挙待ちだろう。しかしながら昨年の米大統領選挙待ちと同じオチになるのでは。中国はイライラといったところか。

・衆院選
 Financial Timesの言い草が面白い。内容への賛否はともかく、こういう言い回しをもっと日本のマスコミにもして欲しいが・・・・・

・IRA武装闘争
 はてさてどうなるか。この手の現実と同居するのに彼らは慣れているが、日本人には辛いだろう。そしてイギリスを初めとする欧州人にとって見れば、テロまではやらない韓国人や中国人は実に平和的に見えるものだ。ただ一旦火がつけば最悪で、そういう現状を普段から欧州には丁寧に説明する必要があるだろう。

・原油価格高騰
 米国内の精製・備蓄インフラはやはり弱いのだろうか。解消されるには10年単位かもしれない。もちろん今回は中東情勢とさして関係ない。日本の偏向報道はどうにかならないものか。

・日経平均
 下がるのは当然としても、ただもう少し下がったら何か仕込みたくはなる。

・総務省コピーワンス見直し
 助かるなぁ:-)たまには孫の代まで残したいソースもあるものだ。

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イラク民主化の混迷に思う

 憲法起草での厳しい交渉が連日報道されている。クルド勢力とシーア派の妥協は成立したように思われるが、スンナ派の取り込みには苦労しているようだ。簡単に論じられる問題でもないが、いくつか感じたことを書き記してみたい。

 本来、スンナ派はアラブ人という事でシーア派勢力との共通点があり、スンナ派という事でクルド勢力との繋がりがある。クルド勢力は一般に思われているより政治の現実に対する柔軟な対処能力があると見られ、フセイン政権下のイラクでも制限は多いもののそれ相応の自治権を確保してきたようだ。そのため、クルド勢力はフセイン後はスンナ派主導の旧来のイラクからシーア派主導の近未来のイラクに鞍替えしたと見れないことも無い。これに旧来一定の受益者と見られてきたスンナ派が反発しているという構図だろう。スンナ派は学歴の高い層が多く、知識人的な反発傾向も他地域より強いようだ。しかし旧来の行政機構を極力保ったまま連邦制に移行するのは恐らく現実解だ。そして安全保障や外交面では極力一元化を残すと。確かに軍事力も含めて極端に地方分権を進めると民族浄化発生となるのは世界の多くの地域で証明済みで、とりわけ注意を払う必要がある。国家建設方針におけるこのような原則は米国ではかなり早い段階から提言されている。代表的なものはこの付近で、内容的にもイラクでの現在の試みと多くの共通点がある。

 むしろ今までの段階で、治安維持といった汗を流す行為を米軍頼みにする構図がかなり早い時期から発生しているのは興味深い。日本や西欧的な近代ナショナリズム感覚だと理解しにくいが、世界的に見れば治安維持行為は時の政府の大きな負荷の一つで、自分たちの権力に問題がなければ手を抜きたくなる分野の一つだ。米軍関係者から撤退も選択肢の一つだと牽制発言があったのもそれを受けている。権力者は権力に伴う義務を果たさねばならないが、それをきちんと果たせということだろう。それをそれなりに果たしてきた歴史を持つ国が今日先進国といわれるのかもしれない。これが日本や西欧などだと、この種の安全保障上のアウトソーシングは、国際的な治安維持や核の傘といったもう少し高いレイヤで発生しており、比較するのは面白いかもしれない。

 イラクでの暴力が深刻だというのは様々な形で報じられている。しかし米国のメディアも含めて、もう少しバランスの取れた報道が欲しいようにも思う。例えばインドなどは典型かもしれないが、選挙になると死人が出るというのは世界的に広く見られる現象だ。今回もそして今後も、政治的イベントに伴う混乱は発生する。イラクは長い時間をかけてその度合いが減少していくと見られるが、現在の短期的な情勢に一喜一憂する報道では大局が見通し辛くなっているだろう。かといって米国のメディアを批判しても、興味は国内的な事情から来ている以上、仕方が無いのだが・・・・

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EUと中国の繊維産業貿易摩擦(2)

 対EUでは6月に当面の妥協が成立したかに報じられていた中国の繊維製品問題だが、やはり尾を引いているようだ。(参照)EU域内での各加盟国の対立が深まっているとの事。繊維問題はとにかく政治的な争点になりやすい。日本はこの問題を世界で一番実感しにくい国ではなかろうか。
 欧州に関しては、北アフリカ諸国との関係で、一定程度代弁せねばならない事情から問題が複雑化していることは以前のエントリでも述べた。今回もフランスとイタリアが強硬派なのは符合する。自国内の産業としても当然移民が多い。ところでこの税関足止めは、昔の日本の対欧自動車輸出でやられたこともある。税関窓口の処理能力が追いつかないという建前だった。今回も同じなのだろうか。フランスはこの手の変化球が昔からうまい。結局買ってるにも関わらず大声で騒いで当時の日本人の感情を害した米国は随分損をしたようにも思う。また今回の交渉手法も妙に似ていて日本人としては笑える。(参照)数値目標つき自主規制って・・・・米国的には自由貿易の原則を曲げてないつもりらしい。
 米国は9/7に胡錦濤主席との会談を控えていることもあり、欧州の情勢横睨みといった構えか。ちなみにこの付近の記事は淡々としているが面白い。中国はEUの妥協を予想していたようだ。しかし空気が読めてないのではないか。EUはとにかく当座の時間稼ぎでもいいので何とか短期的な対応をしたいと取れる。フランスやオランダでの欧州憲法の否決や欧州サミットでの予算案の否決などの情勢を見る限り、EU内では北欧やイギリスがフランスに何がしかの妥協を探る状況のようにも思われる。まして英国のテロ後でイスラム系移民の扱いがますます微妙になっている時期となると、この問題はそれほど中国に妥協する余地は無いのではと感じられる。

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国連安保理改革の行方(9)

 常任理事国入りが絶望とかいうニュースが流されているようだ。極めて国内向けの議論でどこから出てきたのか分からない。今回の外務省の対応は奇妙な部分が多すぎる。
 今回の国連改革は様々な要素を含む広範な内容で、常任理事国増加問題に労力を割くのは一部の国に過ぎない。つまり情勢は極めて流動的で、ちょっとした事で様々な改革案件が進まなくなる。可能性は残っているがグチャグチャな状態でどうなるか分からずお手上げ、というのが客観情勢だろう。とはいえ常任理事国入りに限れば厳しい情勢であることは事実である。今までの日本の対応の奇妙さは色々あるが、いくつか確実に失敗といえる点を指摘しておきたい。

・常任理事国の容認を取り付けていないこと
 これは全常任理事国の容認が必要であることから当然だが、反対する国があったとしても一ヶ国に抑えるべきである。それでも平然と反対するかもしれない。今の常任5ヶ国はいずれもそんな外交を平気でやる国である。またアメリカが「G4案に反対」と公式に発言すればそれはそのままの意味なのだが、欧州の一国がそう発言する場合と米国が発言する場合とでは明らかに違う。これをなぜ理解していなかったのか。

・G4案そのものの問題
 アフリカから2ヶ国というのが決定的に無理。あの地域からは非常任を出す程度が限界だろう。そして常任・非常任合わせて増加数が余りにも多すぎる。この案が通った場合には、それ以外の国では将来に渡って望みがないという具合に受け取られるだろう。つまり、本質的に多数派を形成できない案である。もう少し補足すると、この案を推進した場合、自国にも何らかの可能性があるかもしれないと初期段階では支持を集めるが、絞込み作業が進むに従って反対する国が増えるという結果となる。つまり、最初から最終形をある程度提案し、それを止む無しとする国際的な雰囲気を作るという方針で進めるべきであった。ちなみにアメリカの国際的な提案は国連に限らずこのパターンが多い。外からはごり押しに見えるので日本のマスコミの受けは悪いが・・・・

 恐らく外交過程のどこかの段階で、今回は厳しいという感触を得ているはずだ。多分町村外相のすぐ下あたりの国連担当の外務省役人が無能だったと思う。その段階では失敗する場合の形態を調整しておかねばならないのだが、最後まで可能性があるという誤った判断をしていたようだ。結局、義務と権利はセットでなくてはならない。そうでない今の安保理は本質的には機能しない形式的な枠組みに過ぎない。最初は中国の反対で失敗させるための罠かとも思っていた。政治家はそれを意図していたフシもあるが、外務省が駄目すぎたようだ。政治的判断はやはり政治家が本職で、官僚は判断を誤るということだろうか。

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「文明の生態史観」に思う

 未だ頭は盆休みモードという事で、書評もどきの気楽なエントリを続けてみる。もっともいつもが真面目というわけでもないのだが。

 今回取り上げるのは古い本となる。「文明の生態史観」(梅棹忠夫氏 著)である。これは雪斎殿のブログで引用されていて気になっていたものであるが、非常な良書と感じた。
 内容としては、著者の論文・エッセイ・講演録などをまとめたものである。ただ全体として生態学を基礎とする著者の科学的アプローチからなる聡明な視線がこの書に一貫したテーマを与えていると思う。中核となるのは「文明の生態史観」である。また世界の様々な地域を訪れ、様々な文明の実態を鋭い視点から比較することにより、本質を捉えることに成功している。
 「文明の生態史観」は、個別地域の文化というよりは、社会の発展段階を重視した論考だ。すなわち、西欧と日本を第一世界、ユーラシアの乾燥部分の周囲にある大帝国が形成される地域を第二世界とし、持続的な発展で社会を成熟させることに成功したのが第一世界であると説く。こういう社会科学的アプローチとしてはむしろ歴史時代以前が有効かも知れず、以前のエントリでも挙げたジャレド・ダイヤモンド氏の「銃・病原菌・鉄」が類似の視点を持つ説得力の強い好著として挙げられる。しかし、歴史時代以降も同様の思考によるアプローチが充分有効だという見解は、この書物によって充分に示されていると考える。
 またこの書物の魅力は、文明史観の着眼点による基本コンセプトの優秀さに留まらない。各地の文化を語るときの、漫遊記とでもいいたくなる、ある種の諧謔-おかしみを持った表現が大変魅力的なこともある。ちょっとした比喩とかも膝を叩きたくなることが多い。中には書かれた時代を反映するような-例えば欧州への空路の途中がインドや中東であるなど-といった部分もあり、逆に興味深くもある。梅棹氏は、もし今現在若い年齢であるとするならば、ブログなどを開いて大変な人気を博するタイプの人ではないか、などと夢想するのだ。

 しかし何より私が印象に残ったのは、この論文を発表したときの著者への反応を自ら語っている部分である。一つは、これを日本論として政治的な発言のごとく捉えた結果としての反応(日本にとって都合がいい、悪い考え方だ、との観点から)が多いということ、もう一つは、それでは日本はどうすればいいかという事に関する言及が無いとの批判である。これは今日から考えれば当時のマルクス主義すら力を持っていた時代には止むを得ない側面もあったように思う。しかし、いずれも科学的思考からは随分隔たった意見だ。ある文章が書かれるその背景の曲解というのは、日本人の悪弊かもしれない。そう考えると、21世紀に至った我々の現状すら、特に海外の論考となればその種の誤りを犯すことが多いように思われる。大半の公式論文がそのような意図を最初から帯びている国も中にはあるが。そしてどうすればいいかを提言するには、その提言にはそこに至るまでのプロセスがあるという事が大事だ。そうでなければ単に思いつきを綴っただけだになるし、それは恐らくは中途半端を嫌うこの著者の嫌がりそうなことなのだろうな、と思う。

 この本が書かれてから随分年月が経過するのに、未だその価値は衰えない。それは反面日本人の進歩は遅いものであったという事をつくづく実感する事でもあるのだが。北朝鮮情勢などを巡り、やっとその価値が本当の意味で理解されるのだろうか。

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8.15に歴史を振り返るということ

 PCの調子が悪く、OSの再インストール作業からやる羽目に。ただでさえまめでない更新がより滞っている。何とか復旧してはいるが。
 この時期は戦争を振り返るというテレビ番組などが多く、どうせ良い番組もないだろうからせめて関係する本でもと目を通してみた。今回は新潮新書の「あの戦争は何だったのか」(保阪正康氏 著)を取り上げてみたい。全般として特定の思想的立場に立つというものではなく、客観性に徹する態度に好感が持てる。歴史的事実を極力公正に取り上げようというスタンスが感じられる。「大人のための教科書」と銘打っているが、一定以上の知識がある人にはやや蛇足な面もあるかもしれない。ただ新書という事でページ数もそれほどは無いので軽く目を通すには手頃だろう。関連したことも交えて色々述べてみたい。

 この本の構成は、第一章が旧軍の組織に関する概略の説明、第二章が開戦に至るまでの外交経緯、第三章から五章までが戦時中から敗戦に至るまでの経緯をエピソードなどを含めて記述している形になっている。そしてこの本の優れた部分はどちらかというと前半だろう。特に第一章は基礎知識として今日では比較的知られていないかもしれない、旧軍の幹部は極めて頭のいいエリートだったという事の雰囲気をうまく伝えることが出来ている。これは時の勢いの選挙で政権を得たナチスドイツと比較する言及があっても良かったかもしれない。選挙で選択されたというわけではないが、良くも悪くも日本国民を代表する知性として「頭のいい人達が決めているのだからまあそれほど間違いは無いだろう」というある種の信頼が国民に広くあったようだ。これは腐敗の多かった政治家と比較すると清廉に見えたことも相まって悲惨な結果を招く事にはなるが。

 ちなみに私がこの本に関して不満に思うことの一つは、開戦に至る経緯と、開戦後を同じような筆致で一連の流れで書いていることだ。実際は開戦するまでの経緯が圧倒的に重要だと思う。開戦してしまえば軍事の論理で無理が生ずるのは自明で、二度の世界大戦に関係した主要国は程度の差こそあれ至らないところは随所にある。もちろん当時の軍部の無責任さは責められて然るべきであるが、開戦前の外交の稚拙さと同一に語るのは誤りであり、この本はそれを意図してはいないものの、両者を混同させてしまいかねない注意力の弱さはあるかもしれない。
 それでも第二章は重要な指摘をしている。いわゆる石油神話の否定もそれだ。意図的に軍部を煽るネタとして使ったと。そして実際に対米開戦を推進したのは陸軍ではなく海軍、それも機密のベールに覆われていた軍務局や軍令部作戦課の連中だとして、具体名も挙げている。推測としているが恐らく間違ってはいないだろう。また石油に関しては、官僚主導のビジネスの失敗を隠蔽するという側面もあったのではないかと私は疑っているが。いずれにせよ制裁と言っても当時の情勢では日本のような強大な海軍国を相手に海上封鎖など出来るというわけでもない。今日の中東諸国でさえ抜け道を探すのに苦労はしていない。

 ただ、これらの指摘が国内論理の指摘にとどまっているのは私には不満だ。(もちろんそれはそれで非常に重要だ。国内の論理の延長で戦争までやったのだから)というのは、第二次世界大戦発生はまず欧州、1939年で、日本は1941年に対米開戦しているからだ。そして1941年の6月にはバルバロッサ作戦が発動し、当初のドイツ軍は連戦連勝だった。そしてこのままドイツが勝つだろうという予想は日本のみならず米国でも強かったことだ。第二次世界大戦の発生とその経過に関しては、当時の著名人の予測はそれほど当たっていない。ソ連に関しては客観的な理由もある。フィンランドに侵攻して手痛い目にあい、フィンランド成年男子数より多い数の兵を投入してやっと勝ったからだ。諸外国がここでソ連軍の無能を見て取ったのは間違いない。多数の将校がスターリンによって粛清されたことも知られている。ドイツはソ連に間違いなく勝つだろうと見られていたのだ。つまり、欧州全土がドイツに席巻されそうで、今にもイギリスは屈服しそうで、にも関わらずアメリカは参戦せず、というのが1941年後半の客観情勢というわけだ。その客観情勢こそが、実は最大の要因であったのだろう。

 今日でもハルノートを最後通告と称する人がいる。1941年の日本があたかも追い詰められてどうしようも無かったかのようだ。同盟国が連戦連勝で、「仏ヴィシー政府の要請」で仏領インドシナに駐留するのに?ちなみにハルノートの英文はこのようなものだ。意図的に前文を無視する人が多すぎるように思う。今に続く、米外交の粘り強さの伝統を感じる。脅威があるから軍事オプションの準備はするだろう。しかしギリギリまで外交で解決しようとする。今日の6ヶ国協議を見てもそれは理解できる。もっとも、今も昔も、特にアジア人はそれがなかなか理解できないようだ。駄目な国に限って陰謀論に走る。せめて日本だけはもう少しマシになっても良さそうなものだが。

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政権選択と指導者の資質

 世の中は選挙で大騒ぎ、この自分のマイペースなブログまであちこちでリンクされて苦笑している。論壇系とか大層な表現されても困ってしまう。まぁ、今回は同じように思う人がそれなりに多いせいかもしれない。今日はそれに関連して思ったことを少し書いてみたい。それは政党の党首の資質ということだ。

 これまでの自民党の首相は、個人ベースの資質で見ると必ずしもリーダーとしての器量を備えているとは思い難い人もいた。しかし、近年の選挙では、この党首の資質を見て投票する政党を決める傾向が強まっているのではないかと思う。
 これは海外の民主主義国を観察するとやや傾向があるようにも思う。例えば中級国家と見られる人口1,000~3,000万程度の国では、比較的指導者個人の資質にはうるさくなく、政党の持つ総合的な政策に注目が集まらないだろうか?もちろん個人の資質が重視されないわけではない。ただ細かな部分に至る個人攻撃の段階までエスカレートしない事が多いように思う。
 これに比して、米国は言うまでも無く、旧来からの大国と見られる英仏といった諸国では微に入り細に渡って資質を精査されるという印象がある。これは対外的な軍事行動の可能性と関連していないだろうか?例えば米国で言うところの大統領と州知事に求められる指導者の資質の違いと同じようなものが、民主主義国の規模の違いに応じて、どこかに一線が存在しているように思う。

 日本は国際的な安全保障の役割において身を引いてきた経緯から、規模に似合わない政治的選択だったように思われる。しかし、イラク派兵などが典型だが、これからはかなりプレッシャーのかかる判断をしなければいけないだろう。不承不承ながらも国民の多数派から容認を取り付けなければならない。その時に指導者の器量が結果を左右する。
 もう5年以上前と思うが、以前、2chで日本の核武装の是非を論ずるスレッドを見たことがある。皆口角泡を飛ばす勢いで思ったより真面目に意見を述べているのだが、その時に「お前等何か大事な事を忘れてないか?今日本が核武装したとして、スイッチを握るのはあの森だぞ?」という一言があり、読んでいて思わず大笑いした。スレも一気に冷水を浴びせられたような雰囲気になっていた。ただこれはある側面で本質を突いた問いかけだ。政治状況の変化と指導者の選択の傾向はどこかで微妙に同期している。まぁ森氏は過小評価され過ぎの傾向があったとは思うが、それでも当時も今も安全保障上の重大な決定を託そうという人では無いように思われているのだろう。
 そうしたことが今回の衆院選にも影響するのではないかと思うわけだ。民主党は、恐らく今回思った以上の敗北を喫すると思うが、党首の資質が大切だという教訓をそこから汲み取る事が出来るだろうか。日本の政党政治は、実はそういう経緯から再度の出発を模索するのかもしれない。

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ミドルパワー外交論に思う日本の外交

 遅れ馳せながら、最近話題になっている著作の一つである”日本の「ミドルパワー」外交”(添谷芳秀氏 著)を読んだ。結論を先に言うといささか残念な出来という思いが強い。そのためお薦めの本としては取り上げないし、リンクも用意しないが(まぁ、検索することは容易だろう)いささか思うところも多いので、本の感想と関連することに関して少しばかり述べてみたい。

 この書物では、日本は旧来の大国外交から身を引いた「ミドルパワー」としての外交を推進しているとし、戦後の歩みの中でそれがどのように展開してきたかを述べている。中級国家として、カナダ、オーストラリアなどとの比較、近年の人間の安全保障などを含めて論を展開しており、権力政治のような大国外交でない所で独自の存在感を示す政策を推進する事をミドルパワー外交としている。
 しかし、私はこの著作で展開されている上記のコアコンセプトそのものに問題があると考えている。この著作自体は、日本の戦後外交を比較的良くとりまとめており、事実関係を整理して概観するには比較的良いと言える。しかしながら、上記の「ミドルパワー」という観点からそれを説明しようとする箇所になると必ずしも説得力があるとは言い難い議論になる。例えば中曽根氏が中級国家という言葉を使ったあたりなどはそうだ。著者はそれをミドルパワー外交の面から説明しようとする。しかしその時期は日本の経済力の絶頂期に近かったことを忘れていないだろうか。つまり、世論の反応も前提に「中級にとどめたい」という負担回避の側面があったことも鋭く指摘すべきだろう。この著者は自己の主張を何らかの形で大きく盛り込みたいという誘惑に対し、もっと怜悧に自制的であるべきではなかったか。

 何より、この著作自体で引用している部分にしばしば本質に近い部分が隠れている。例えばミドルパワーの代表格であるカナダにおいて、本来の主張では国家の規模を表すニュアンスがあるとしている。しかし著者は規模より政策の中身が重要だとする。果たしてそうだろうか。また第二次大戦後間もない1947年という時期にジョージ・F・ケナンの言として「アメリカ、ソ連、日本、イギリス、ドイツ」を「パワーの中枢」と位置付けていることが表現されている。そして現在、米前国務副長官のアーミテージ氏は「世界的な政治影響力」を持つ国として「アメリカ、ロシア、日本、イギリス」を挙げている。個人的には現時点ではロシアが抜けてドイツとフランスが入ると思うがまぁそれはどうでもいい。問題の本質はこの「影響力」というところだろう。
 少し前に「小さくてもキラリと光る日本」とかいう表現があった。この著作にも「大国面をしない大国」のような表現が引用されている。これは確かに日本の自己認識や願望を表す側面があった。しかしこれがいかに浮世離れした、日本国内でしか通用しない議論であったかはもはや論ずる必要も無いだろう。人口一億二千万の世界第二の経済力の国を「小さくても」と表現する奇怪さはもちろん、他者の目に関する無頓着さがむしろ日本の外交の足を引っ張ってきた。近年の日本はそういう非現実的な論から脱却しつつあるように見える。その状況下で、この著作は新時代のそれに対する提言というよりは、むしろ旧時代の残滓としてそこに存在しているように思える。

 ミドルパワー外交としての政策に意味が無いと言っている訳ではない。ただ本来規模を表す側面があるのは、単独で影響力の少ないところを国際的な力を結集しようとするニュアンスがあるからだ。日本の場合は例え権力政治から身を引いたとしても、その身を引いているという事実が変化していないという事を常に外部から継続的に確認されるという立場にあることを自覚するべきだろう。例えばIAEAが継続的に日本を監視してきた意味を考えるといい。そして世界的に大きな国際問題が発生した時、影響力の大きな国がどう反応するかは常に報じられる。日本としても、米国はどう反応するか、英仏独はどうかと報道し、カナダやオーストラリアのことはさして扱わない。では海外から見たとき、日本はどちらのカテゴリに属するのだろう。

 これは世界の歴史をどう解釈するかに関しての著者の考えの反映かもしれない。19世紀には英仏独襖露が欧州で権力政治を展開していた。その延長で現在は米露中などと考えているのではないだろうか。それは恐らく適切な見方ではない。その基準だと大国外交は「世界または地域秩序の形成とそれの維持に主体的に関わり、影響力の中枢にある国」と表現されると思われるが、その意味では冷戦期には米ソのみが大国であり、冷戦後は米国のみが大国だ。それを支える国として欧州や日本があり、それが唯一の巨大な存在で、現在のロシアや中国はむしろアウトサイダーと見なすべきだろう。そして間接的にはロシアも中国も米国の恩恵を受けていると言えるだろう。(ロシアに関して言えば、現在のロシア国境線は米国主導の世界秩序で守られているとも言えるし、中国に関して言えば日本や韓国や台湾の核武装と向き合わずに済み、経済発展している)事実として世界秩序は米国がほぼ単独で取り仕切り、それに対する中国やロシアの影響力は日本や欧州の一国と比較して高いというわけでもない。ましてWTOのような世界的な通商ルールに関する発言力などは皆無に近い。その観点からすると経済力が重視されねばならず、大国は日本や英仏独を定義せざるを得ない。

 いずれにせよ、日本はもう少し自己の立場を考えるべきだろう。日本が何か外交で動きを見せたとき、それは日本がどの程度リソースを注ぎ込むか、またどの程度の負荷を背負う意思があるのかということに注目が集まるのが現実だ。ちょうど日本が米国を見る視線と同じように。いずれにせよはっきりしていることは、現在のミドルパワー外交の代表格たるカナダやオーストラリアも含め、世界の大多数の国は日本に対して「ミドルパワー」と表現することは無いということだ。結果としてミドルパワーの影響力となっても、タダの出し惜しみと見られるのが関の山だろう。

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解散・総選挙に思う日本の政党政治の状況

 結局参院では郵政民営化法案が否決され、小泉首相は衆議院を解散した。選挙日程は奇しくも9.11だが、米国のそれほどではないにせよ日本の将来もいささか変わる日になりそうだ。思うことは色々ある。今回のエントリはいつにもましてまとまりが無いが許されたい。

 以前のエントリでも書いたように、私は自民党がかなり善戦するという予想をしている。理由は簡単で、あれだけ落ち度の多い今までの自民党でも政権の座にはあったからだ。今回小泉首相の下で守旧派と世間的には見られている人々を追放して戦う選挙戦ではそれなりの追い風があり、そして主に岡田代表などを代表とする民主党執行部の無力により、改革勢力としての政治姿勢にやや疑問符が付いている。少なくとも(マスコミの報道はどうか知らないが)客観条件的には小泉自民党に有利と思われる。何だかんだといいながらも、都市部の知識人サラリーマンなどがマジョリティの帰趨を決めてきたと思うが、その付近が大幅に戻ってくるかもしれない。例えば今回だと東京一区、自民党の与謝野氏と民主党の海江田氏だが、しばらく海江田氏が勝利していたが今回は与謝野氏が勝利するのではないだろうか。まぁここは普通のサラリーマンが多いわけではないが。

 大雑把な色分けをすれば、小泉自民党は小さな政府志向で親米非中韓、亀井派を中心とした政治勢力と民主党は大きい政府志向およびやや反米の親中と見えなくも無い。問題はこれが最終的な政治勢力の色分けとして定着するかどうかだ。というのは、もしこれが定着すると、今後の政治展望としては後者の長期低迷・万年野党化しかないと考えているからだ。それでは55年体制の奇妙な反復でしかない。そしてこれは現在の米民主党の停滞に不思議に重なる。ただ米国では民主党右派の懸念はかなり深刻なことから巻き返しもあるだろう。日本ではあるのだろうか。

 日本の民主党の問題は外交や安全保障で強い。これを指摘する人は多く、今まで私が目にした複数の世論調査でも一貫している。今回国内的にもどうかという話になるとは思うが当面それはおいて、この問題に関して考える。なぜなら、この外交姿勢が日本の政党政治の縛りになっている側面が強いと考えるからだ。そもそも日本の政治勢力で、外交・安全保障面で戦略上奇矯でない現実的な範囲で対立点が発生するとしたらどのようなものになるだろうか。恐らく、米国との同盟維持は一致するだろう。その上で軽武装路線で米国と密接に行動するか、やや重武装路線で独立性を保ち、対米協力を高めに売りつけるかの二種類くらいしかないのではないだろうか。分かりやすくいうとイギリスみたいにやるかフランスみたいにやるかの違いという事だろう。そしてその現実が対立点を生み出し難い現状になっているのではないかと考える。

 安全保障上米国から独立性を保った外交を意図したいのなら、その分米国をアテに出来なくなる面が強くなる以上、自国の負担が増えるのは当然だろう。日本の左派勢力は対米自立を唱えつつ防衛費の削減を要求している。本質的な論理矛盾であり、議論として成立しない。論理的に成立するとすれば、日本人に提供する安全保障の要求水準を引き下げて議論する、言い換えれば脅威を矮小化して現在が過剰と表現し、実際に発生するマイナス面を正当化するしかない。社民党がこれで、つじつま自体は合う。注意して欲しいのは、この種の主張は世界的に見れば大国の周辺にある小国ではしばしば実際にあることだ。まして国内的に国民の人権を軽視する場合はなおさらだ。しかしこれは極端に日本人の多数派に受けが悪い。日本人が自覚している以上に日本は外から見れば誇り高い国家だということだ。この種の風景は色々他にもある。
 また重武装・独立性重視に傾くのは、軽武装・協調路線より相対的に保守勢力が採用するのが当然だろう。軽武装路線を小泉自民党が担っているとしたら、ここの政治勢力が当面国内に存在しない。確かにこの路線は核武装なども含めて検討の要があるので日本で支持を集めるのが難しいのだろう。
 総合的に考えれば、大まかな路線として親米軽武装を唱えることで一致し、そこからブレずにほんの僅かな違いで論争するという話はあり得る。ただ何がしか独自のカラーを出したいという色気が政治家にはどうしても発生する。それは例えばチャイナスクールの罠に絡め取られるとか、多くは不幸な結果を出してしまう。
 このように日本の外交・安全保障政策の停滞は構造的な問題もあり、実際のところは政治家ばかりを責められない。むしろ多数派は悪い条件の中で良くやっていると言えるかもしれない。そして政治は透明性が大事なのは言うまでも無いが、日本の不幸は、有権者がなまじ先が見えることだろう。短期はともかく、長期で見れば路線選択は概して正確だ。マジョリティは常に決まっている風景が継続している。しかし予定調和では議会政治の活動が停滞する。では、切磋琢磨し、もう一段の進歩をする余地はどこにあるのだろうか?

 あるとすれば、それは人権という面ではないだろうか。日本の外交では、他国の人権に無関心か冷淡であることが多い。だから拉致問題などでも外国の視線は、中韓はともかくむしろ民主主義国の視線が時に痛い。自分に回ってきたときだけ大騒ぎかと。それでも建前上無条件で支持するというのが民主主義国の気概ではある。不幸な事件であったが、対外関与のあり方を強化するきっかけになればまだしも進歩の一助かと思う。だから民主党は主張するとすれば自民党以上に北朝鮮や韓国、中国国内の人権問題に鋭く批判的でなければならない。視野はより広く、世界的でなければならず、国際的な枠組みの提案者で無ければならない。自民党を親米とすれば民主党は親米+親EUというところだろうか。ただ、今の日本人は例え短期的でもこれ以上の負荷を背負うのが本当に嫌なようだ。本当に限られた選択肢しかないのが現状なのだろうか。

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雑記いろいろ('05.8.5)

 暑くてちょっとバテ気味。最近は書きたいことも色々あるのだが・・・・読みかけの本があるのでそれも消化したいし。とりあえず雑記。

・国連安保理改革
 ほぼ予想通りの展開を辿って破綻コース。ここでアメリカが日本に多少の不信を抱かせるような経緯になっているように見えるが、お約束のようにマスコミの偏向報道。なぜかこの風景は本当に昔からあり、明治あたりまで遡る。素直に発言している内容をそのまま受け取ればいいのだが。いずれにせよG4だけでも難しいのにアフリカから常任を2ヶ国というのはやはり無理筋だった。とはいえ、これとて途中経過ではある。改めて以前のエントリで紹介したような国連改革を経て、再度の模索となるだろう。

・6ヶ国協議
 恐ろしく北朝鮮に有利な案が出ているのだが、これすら蹴る模様。どう取り繕っても中長期的には破綻コースだろう。軍事的圧力一歩手前までいかないと北朝鮮は譲歩しないというのは以前から指摘されていたことだ。その意味で今回米国が攻撃の意図は無いと明言したのは、それは本心であるとしても正直すぎる対応だろう。そしてイランのほうが情勢としては危険だがこちらのほうが時間的余裕はありそうだというのもジレンマではある。

・米墨国境での治安悪化
 国境に近いメキシコの米領事館が治安悪化のため一時閉鎖とか。(参照)ただでさえ麻薬絡みで米国人としては過敏になるのに、山のように死人が出る上、これを利用してアルカイダ侵入の可能性まで取り沙汰され、かなりの騒ぎに。米国としてはこの手の問題に大きなエネルギーを割かれるので、外交の案件やタイミングによっては停滞する可能性がある。

・郵政民営化
 私は賛成派だが、今回はそれはそれとして選挙をしたほうがいいと思う。有権者の意識変化が政界やマスコミに伝わるという面があるからだ。特に都市部、年齢別の動向がポイントだと思う。

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政権選択の選挙とは

 郵政民営化法案で世の中が騒がしい。自殺者まで出たということでそれすら政争の具にされている。この件に関しては言及もしたくないくらいだ。そしてこの法案が否決されたら衆院解散・総選挙になるらしい。民主党に政権が交代する可能性はあるのだろうか。あるかもしれない。しかし私は必ずしもそうならないと思っている。

 元々私は、社民党や共産党のような左派政党は政治家としての最低限の役割を果たしてないと考えている。この付近は日頃のブログで分かると思う。「現実的な政策」を挙げる複数の政党でしばしば政権が交代するのが理想と考える。だから選挙の際はいつも選択に悩んだものだ。少なくとも国政選挙においては、過去一度も自民党に投票したことは無い。もっとも社民党や公明党、共産党も無いが。本心を曲げてという思いはあったが、総合的に考えると短期的にリスクがあっても、長期的に見れば政治の水準が向上するのに政権交代は必須と考えたからだ。選択肢は実に少なかった。しかしながら、今回衆院選があるとすれば、私は初めて自民党に投票するだろう。

 元々日本の政治状況は、全国的に見ても保守層が厚い。問題は保守層の中で政党のバリエーションが無いことである。民主党の近年の伸びは、野党第一党効果、二大政党制期待からの保守層の流入という側面が大きい。政権交代が無ければ民主主義ではないという思いは多くの人にあるだろう。しかしながら、有権者の投票行動を仔細に見ると単純ではない。政権(というより担当する政党の)交代に直接絡まない参院選や地方選挙では、割と地滑り的に野党が勝つこともある。しかし、衆院選だけは少し様相が違い、自民党がなかなか大崩れしない。これは政権交代に直接絡むために有権者が慎重になっているからであるのは明らかだ。そして安定した社会ではリスク許容度が高まり、野党が勝つことが多い。だが、近隣諸国との激しい摩擦がある昨今はどうだろうか。政権交代によるリスクが許容できないと考える有権者は多いのではなかろうか。

 日本の政治制度においては、有権者が思っている以上に内閣総理大臣の権限が強い。三権分立が徹底している米国では、大統領権限は強大だが立法に口は出せない。というか、許可が無ければ議会にも入れないくらいだ。(アメリカ人はこういう所ではやたら潔癖だ)立法府の多数派の総裁を兼ねているのだから決断すれば何でも出来るといっていい。そしてこの個人の資質が重要な事に、近年の日本人は気が付いてきたと思う。これは中曽根氏がまだ元気に政治活動をしていること、今の小泉首相対米関係など含めて若干似た部分があるという事も影響しているかもしれない。不思議と長期政権は外交上それなりの実績を残している。というより長期政権で無いと残せないのだろうが。そして今は外交の季節ではある。

 今回の総選挙があるとすれば、岡田党首は、限りなく昨年の米大統領選のケリー候補のような負け方に近くなると予想する。有権者の信頼を得る、最後のハードルを越せないと思うのだ。前回の衆院補選の結果を見ても、これまで確実だった都市部での勝利が怪しくなっている。そういえばブッシュ大統領も前回より都市部で得票を伸ばしている。これは世論調査でははっきりとは見えないが政治意識の高い良質な保守有権者の行動が左右したのではないだろうか。これが菅党首ならやらせてみると駄目という可能性があってもリスク許容で勝利するかもしれなかった。もっとも、それとて対中韓発言などを聞いていると最近はやはり駄目かもしれない。時代の巡り合わせとか運とか、そんなものが政治家には必要なのかもしれない。これも米国で言うと、ゴア氏あたりだろうか。レベルが違うにしても。

 そして小泉首相が圧勝する可能性が一つだけあると思う。それは自由民主党の党名を変更することだ。例えば「自由党」などが候補だろうか。実際に政策においては社民主義的な福祉重視の側面が減退し、自由競争重視の傾向がある。意思決定プロセスも近代的になってきている。だからある意味現実には合っている。これを実施すれば「自民党をぶっ壊す」という小泉首相の発言は一応整合性があったことになるが。

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南部アフリカ諸国との経済関係の可能性

 近年、日本から中国への投資が減退気味のようだ。実のところ、中国が日本に求める投資は今程度のものではなく、少なくとも数倍、十倍以上といった規模なのだろう。ただそれは達成不可能な数字で終わりそうだ。個別企業はともかく、業界とかの単位で見ればリスク分散化の傾向がやや出てきているかもしれない。
 そして日本のような経済大国の動向は世界的に影響が大きい。だったらうちにと秋波を送る国は多く、例えばベトナムなどは相当入れ込んでいるようだ。そして今日もこのようなニュースが報じられていた。南部アフリカ関税同盟諸国からの、将来のFTAを目標としたEPAの申し出だ。これは検討に値するのではないだろうか。

 具体的な同盟諸国の顔ぶれは、南アフリカ共和国、ボツワナ、ナミビア、レソト、スワジランドといったところだ。この付近の国に関しては日本人には馴染みが薄いかもしれない。まずは外務省のページで基礎情報を確認するのがいいだろう。同ページのレソトの選挙監視の話などもなかなか興味深いものであった。
 南アフリカ共和国がこの地域の中心であることは間違いないが、ボツワナ、そして独立後それほど年月が経っているわけではないナミビアも経済データが意外に高い数字を示していると感じる人は多いのではなかろうか。南アとの関係や欧州諸国の継続的な関与によりアフリカ諸国では比較的恵まれたほうだろう。ボツワナでは一人当たりGDPは$3,000に達している。(南アより高い)もっともそれ故にAIDSの蔓延はより悲劇的な色彩を帯びているし、ジンバブエのムガベの政治も「本来ずっとましなはずの国なのに」という前提の元での悪評ではある。その意味で米国がジンバブエを圧政国家の見本に挙げたのは、期待して良い水準に対して極めて低いということで誠に適切ではある。もちろんベラルーシもそうで、この付近は欧米的な価値観からすると当たり前に言及しただけだろう。

 この南部アフリカ諸国であるが、識字率も相当高い。手元の百科事典だと2003年推計で南ア、ナミビアで男女とも85%前後、ボツワナで80%前後の数字が確認される。特にナミビアは私の認識が足りなかったのか非常に高いと感じた。海に面すると言う事はそれほど経済や社会に有利なのかと思ったりもする。ちなみに牧畜との関係で女性のほうが識字率が高い傾向があるのは面白い。またキリスト教の普及地域でもあり、欧米人のみならず日本人もややコミュニケーションが取りやすいようだ。ものの考え方の馴染みがあるのだろうか。もちろん地域によっては日本人の想像の及ばない大変さだ。スワジランドで報告される内容に関しては、裏付けを確認しないと言及するのがためらわれるものがある。

 輸出産業に関しては鉱産資源が有名だが、近年はここでも繊維関係が重要なようだ。女性の識字率の高さなどを考えても、軽工業の類は成立余地が大きいのかもしれない。牧畜が盛んなことから、羊毛製品の伝統はあるようだが。
 また、貿易による最終消費地を欧米とすれば有利な側面はある。海路が重要なのだが、その場合は中国などよりよほど条件がいい。日本に輸入する品目に関しては引き続きアジア近隣諸国が有効だが、少なからず欧米への迂回貿易の形を取っている工業品目に関しては検討の余地があるだろう。特に自動車は有利だ。南アは実は自動車産業の歴史もある。やや熟練した労働力も確保できるかもしれない。そして欧州諸国は、アフリカ諸国への植民地経営の経緯からやや贖罪的な側面もこめて貿易面での優遇措置を取っている。(この付近、日本のアジア政策ともやや共通点がある)欧米諸国からの非難はかなりの期間かわせるだろう。「ではアフリカの雇用をどうするのか」の反論で済む。何と言ってもアフリカへの援助は、産業の振興こそが最も肝要なのだ。ただ与えるだけの援助は長続きもしないしその場だけのものだ。それはアフリカの中でも先進地域たる南部アフリカを振り出しにしないと成立しないのではないか。

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