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8.15に歴史を振り返るということ

 PCの調子が悪く、OSの再インストール作業からやる羽目に。ただでさえまめでない更新がより滞っている。何とか復旧してはいるが。
 この時期は戦争を振り返るというテレビ番組などが多く、どうせ良い番組もないだろうからせめて関係する本でもと目を通してみた。今回は新潮新書の「あの戦争は何だったのか」(保阪正康氏 著)を取り上げてみたい。全般として特定の思想的立場に立つというものではなく、客観性に徹する態度に好感が持てる。歴史的事実を極力公正に取り上げようというスタンスが感じられる。「大人のための教科書」と銘打っているが、一定以上の知識がある人にはやや蛇足な面もあるかもしれない。ただ新書という事でページ数もそれほどは無いので軽く目を通すには手頃だろう。関連したことも交えて色々述べてみたい。

 この本の構成は、第一章が旧軍の組織に関する概略の説明、第二章が開戦に至るまでの外交経緯、第三章から五章までが戦時中から敗戦に至るまでの経緯をエピソードなどを含めて記述している形になっている。そしてこの本の優れた部分はどちらかというと前半だろう。特に第一章は基礎知識として今日では比較的知られていないかもしれない、旧軍の幹部は極めて頭のいいエリートだったという事の雰囲気をうまく伝えることが出来ている。これは時の勢いの選挙で政権を得たナチスドイツと比較する言及があっても良かったかもしれない。選挙で選択されたというわけではないが、良くも悪くも日本国民を代表する知性として「頭のいい人達が決めているのだからまあそれほど間違いは無いだろう」というある種の信頼が国民に広くあったようだ。これは腐敗の多かった政治家と比較すると清廉に見えたことも相まって悲惨な結果を招く事にはなるが。

 ちなみに私がこの本に関して不満に思うことの一つは、開戦に至る経緯と、開戦後を同じような筆致で一連の流れで書いていることだ。実際は開戦するまでの経緯が圧倒的に重要だと思う。開戦してしまえば軍事の論理で無理が生ずるのは自明で、二度の世界大戦に関係した主要国は程度の差こそあれ至らないところは随所にある。もちろん当時の軍部の無責任さは責められて然るべきであるが、開戦前の外交の稚拙さと同一に語るのは誤りであり、この本はそれを意図してはいないものの、両者を混同させてしまいかねない注意力の弱さはあるかもしれない。
 それでも第二章は重要な指摘をしている。いわゆる石油神話の否定もそれだ。意図的に軍部を煽るネタとして使ったと。そして実際に対米開戦を推進したのは陸軍ではなく海軍、それも機密のベールに覆われていた軍務局や軍令部作戦課の連中だとして、具体名も挙げている。推測としているが恐らく間違ってはいないだろう。また石油に関しては、官僚主導のビジネスの失敗を隠蔽するという側面もあったのではないかと私は疑っているが。いずれにせよ制裁と言っても当時の情勢では日本のような強大な海軍国を相手に海上封鎖など出来るというわけでもない。今日の中東諸国でさえ抜け道を探すのに苦労はしていない。

 ただ、これらの指摘が国内論理の指摘にとどまっているのは私には不満だ。(もちろんそれはそれで非常に重要だ。国内の論理の延長で戦争までやったのだから)というのは、第二次世界大戦発生はまず欧州、1939年で、日本は1941年に対米開戦しているからだ。そして1941年の6月にはバルバロッサ作戦が発動し、当初のドイツ軍は連戦連勝だった。そしてこのままドイツが勝つだろうという予想は日本のみならず米国でも強かったことだ。第二次世界大戦の発生とその経過に関しては、当時の著名人の予測はそれほど当たっていない。ソ連に関しては客観的な理由もある。フィンランドに侵攻して手痛い目にあい、フィンランド成年男子数より多い数の兵を投入してやっと勝ったからだ。諸外国がここでソ連軍の無能を見て取ったのは間違いない。多数の将校がスターリンによって粛清されたことも知られている。ドイツはソ連に間違いなく勝つだろうと見られていたのだ。つまり、欧州全土がドイツに席巻されそうで、今にもイギリスは屈服しそうで、にも関わらずアメリカは参戦せず、というのが1941年後半の客観情勢というわけだ。その客観情勢こそが、実は最大の要因であったのだろう。

 今日でもハルノートを最後通告と称する人がいる。1941年の日本があたかも追い詰められてどうしようも無かったかのようだ。同盟国が連戦連勝で、「仏ヴィシー政府の要請」で仏領インドシナに駐留するのに?ちなみにハルノートの英文はこのようなものだ。意図的に前文を無視する人が多すぎるように思う。今に続く、米外交の粘り強さの伝統を感じる。脅威があるから軍事オプションの準備はするだろう。しかしギリギリまで外交で解決しようとする。今日の6ヶ国協議を見てもそれは理解できる。もっとも、今も昔も、特にアジア人はそれがなかなか理解できないようだ。駄目な国に限って陰謀論に走る。せめて日本だけはもう少しマシになっても良さそうなものだが。

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Comments

日本人はなぜ戦争をしたか―昭和16年夏の敗戦 日本の近代 猪瀬直樹著作集
猪瀬 直樹 (著)
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この本も良いですよ(既読かしらん?
でも、イマイチツッコミが足りないし、いくらか彼の見方に反発すら感じる所がありますが。

保阪正康氏の本についてですが、海軍善玉史観に対して論考をしっかり載せているらしいところには、好感が持てますね。財布に余裕ができたら買ってみたいところです。

>実際に対米開戦を推進したのは
私は外務省が何を考えていたのかについて、少々疑っている部分がありまつ。蘭印との交渉にしても、ハル・ノートの件についても、腑に落ちない部分があるので。

>時の勢いの選挙で政権を得たナチスドイツ
ナチに関しては、ワイマール共和国が極めて脆弱な体制であったことが、政権奪取にプラスに働きますたね。
国民全体に民主主義が良いものであるか、否かという暗黙の了解が存在していないことに留意が必要でせう。
パーペンなんぞは王制を復帰させようというような言質もありまつ。
この点では日本とも共通する部分があるとも言えるかも。大正デモクラシーも強固なものでは……

ただ、ドイツ国防軍に関してはプロイセン貴族の影響が極めて濃く、今一つ分かりにくい部分もあるような無いような気がいたしまつ。

Posted by: おきゅきゅきゅきゅ~ | 2005.08.19 at 10:03 AM

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