« 文明の伝播について考える(2) | Main | 国連安保理改革の行方(2) »

対中外交の難しさと靖国参拝問題

 昨今、対中外交がますます厳しくなっている。靖国参拝問題も相変わらずだが、これらの件に関する自分のスタンスを書いておきたい。恐らく批判も強いと思うが、自分自身、現時点での見解を示しておきたいというのもある。

 まず、当たり前の事であるが、相手がこういうからこうする、という場当たり的な対応が全ての元凶である。ある一定の倫理性を持ち、首尾一貫して全ての国に毅然と同じ主張をするのが大前提である。この件で日本はいくつかの失敗をしている。
 日中国交回復から平和友好条約締結に至る過程では、対中の戦後決着のさせ方として、「悪い軍国主義の政治家により日本国民も中国国民を等しく被害を受けた」という建前とした。そして一部を除き当時の政治家にとってこの論が現実と乖離があることは百も承知であった。実際にはナショナリズムの高揚という意味で、日本自身に関しては欧州で言えば第一次世界大戦かそれ以前の状況に近い。そして欧米に関しても、こと対中関係に対しては実質途上国相手の軍事行動の延長であったことを説明しきってはいない。(もっとも無分別な軍事行動の拡大に問題がありすぎたのは言うまでも無い)そして現実と乖離がある以上、政治家が交代すればこの論理が継続できないのは当たり前である。そのうち仕切り直しておくべきであろう。

 中国に関して言えば、これも当然だが自国民を殺害するほうが他国民を殺害するより罪深いことと思う。この付近、中国の国内統治の論理ではしばしばある種の倒錯を起こす。これに対する日本の態度はどうしようもないくらい惰弱であった故に、現在主張し辛いほどの状況である。そして歴史の責任は当然だが現在により近い出来事のほうが重みを持つ。いずれの点からしても、大躍進政策や文化大革命の事実が日本との戦争より批判されて然るべきである。

 日本に関して言えば、靖国参拝に関してはあまり他国の顔色を見て行く行かないを決めるべきではない。自身の倫理観のみで決定するべきであろう。世間での認識としては、ナショナリズムの高揚の責任をA級戦犯にだけ負わせたという後ろめたさからの甘さがあると思うが、これには強く異論を唱えておきたい。失政によって山のような自国民の死者が出た結果に、何ら責任が問われずして良いわけが無い。国家の指導者にとっては無能であること自体が罪である。能力が無ければそもそもその地位に就くべきでない。事は東京裁判でも同様で、これは大まかに言えば旧海軍勢力と米国の談合による当時必要とされたある種の政治的決着の一形態と捉えるべきであろう。この裁判自体の問題を指摘することは極めて容易である。ただそれが政治の論理として当時も今も今ひとつ機能しないのは、それではどういう政治的解があったかということに関して代替案が提案されていないからである。これはあらゆる政治問題に関して今も同じような構図で継続している。日本人自身が素早くリアクションを起こさないと、事態を進めている他者の意見が通るだけの話である。世の中の大半の問題に、何もしないという選択肢は存在しないのだ。

 そして靖国参拝に関しては、個々人に関する立場と政治家に関する立場を分けておくべきであろう。個々人に関しては古典的な神道の認識でも、あるいは国家神道の認識だとしてもそれぞれ自由な立場で参拝して構わない。この事に異論はあまり無いだろう。政治家に関しては、参拝自体が前記の自国の政治家に関する政治的な甘さを想起させるものがあり、今の時点では賛成できない。一般犯罪なら死刑になった凶悪犯でも死刑で罪は消えたとして、普通の故人と同じように敬意を払われて構わない。しかし事政治家に関しては、その負った責任の重さ故に、厳しく断罪されつづけることも仕事の一つと考える。自身が死んだくらいで罪が消えたとするには、影響範囲があまりに広すぎるのだ。ちなみに欧米だと軍関係者には東京裁判や靖国参拝問題への同情心が強く、政治家筋では冷淡なようであるが、これは彼らの倫理観からすると自然なことと理解できる。
 なお、個々の戦犯に関しては、それが不当なものであれば適宜名誉回復をすることには賛成したい。ただしその際には、罪がありながらそれを逃れたような者に関しては、本人が故人であっても責任を明確にしておくべきと考える。要は日本自身がある種の倫理性を持って首尾一貫するべきということに尽きる。
 私は無宗教の参拝施設も悪いものと思わない。ただ歴史や権威が必要なものであるので、なかなかこれといった物を成立させ難いのであろう。しかし適切なものがあったとしたら、かつて嫌というほど殺し合い、今は友好国となっているG7諸国の首脳とサミットで参拝して欲しい。アーリントンよりはニューファウンドランドのイメージであろうか。そしてすぐには無理であろうが、中国や韓国の政治家にも来て欲しい。未来志向とはそういうものではないかと思うのだが、現在の状況を思うとそれは遠い道である。

|

« 文明の伝播について考える(2) | Main | 国連安保理改革の行方(2) »

Comments

この人は保守主義者らしいのですが、
この意見はものすごく勉強になります。
「A級戦犯合祀は自らやめるべきである」
http://www.nozomu.net/cgi-bin/webnote/thinking/26_index_msg.html
ご参考まで。

Posted by: 相馬和人 | 2005.05.12 11:06 PM

大変参考になります。有難うございます。
部分的にこういう事情は知っておりましたが、細かい部分で知らない所が結構ありました。
何と言いますか、本当の意味で日本の神道を代表するような神社が代行すればいいように思います。個人的には他宗教の事も考えて無宗教のものがあると良いと思うのですが。ただ候補が無いし人為的に作り辛いというのはありますね。

Posted by: カワセミ | 2005.05.14 01:35 AM

靖国を考えるにあたってまたまた、カワセミさんの投稿を引用参考させていただきました。また事後報告になりますが、ありがとうございました。
コメント欄の相馬和人さんご紹介のリンクもとても参考になりました。この場を借りてお礼申し上げます。

靖国にかわる慰霊施設の件ですが、個人的には英霊やご遺族のことを考えると靖国以外は難しいのではないかな、という考えです。

Posted by: まったり | 2005.05.20 07:24 PM

引用恐縮です。
やじゅんさんのブログで書かれていた中曽根氏の話は分かる気がします。欧州的リベラリズムの影響が濃い日本の政治家には割とある意見だと思います。この付近が左右で厚くなれば日本の政治も幅が出るのですが。
その意味で、小泉首相は本来のポジションから少し離れたアプローチを取っている気がします。中曽根氏よりアジアに冷淡で、合理主義者のはずなのですが。

Posted by: カワセミ | 2005.05.21 05:07 PM

The comments to this entry are closed.

« 文明の伝播について考える(2) | Main | 国連安保理改革の行方(2) »